二千六百七(うた)1.母がインフルエンザで入院、2.塞翁が馬
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月二十九日(日)
母がインフルエンザに罹り、入院した。その前日はデイサービスへ行き、帰宅後に少し咳が出る程度だった。夜になって咳が多くなったので、市販薬を買ひに行った。これは有効で、翌朝には咳が出なくなった。だから翌朝は咳止めを飲ませなかった。
当日は朝食を半分残した。お昼に急変し、熱が出た。食べないため解熱剤を飲ませる為、食べ物を口まで持っていっても口の中でもぐもぐさせるだけで飲み込まない。まづケアマネージャーに電話をした。介護タクシーは発熱なので皆断られたと、暫くして回答があり、具合が更に悪化したので救急車を呼んだ。
救急隊の重要任務は病院探しで、最初電話したところは断られた。これまで通院したところを訊かれ、そこが無事受け入れてくださった。
救急車の中で、母は幾つかの計器を付け、数値が異常になると黄色のランプと警報音が鳴る。しかし無事病院へ到着した。
高齢は病状悪化速いため 介護タクシー断られそれが幸ひ命拾ひに

反歌  入院は大病院へ帰宅後に調べて見ると更に上あり
救急隊のもう一つの重要任務は、病院到着までの測定だ。右肺の異常を見つけ、これは病院で一時間半ほど待機のあと、医師からも説明があった。肺炎ではないだらうと云ふことだが、酸素マスクを着用した。抗菌剤も服用した。
これほどの大病院は日本でも少ないだらうと帰宅後に調べると、遥かに大きなところがある。上には上があるものだと驚いた。
母がインフルエンザの予防接種を受けたのは一週間前で、あと一週間早ければ抗体が上がったのに残念だった。とは云へ、世の中は塞翁が馬だ。抗体が上がって発症が遅れて、受け入れ病院が無かったら大変なことになった。報道によると、三週間連続で発症者数が前週の二倍になった。このままだと、年末年始は受け入れ可能病院が少なくなる。
最初の病院に断られたのもよかった。あそこは呼吸器内科が専門では無いし、小規模だ。病院もそれを踏まへて断ったのだと思ふ。
--------------------ここから「和歌論」(二百十七)-------------------------
塞翁の馬は現況良き時に云へる事にて その上で振り返るとき選択の余地が無限に今へと続く

反歌  選択の余地はいつでもどこにでも見逃さぬなら望みは続く
「塞翁が馬」を「塞翁の馬」とした理由は、歌では所有格の「が」を普通使はない。もう一つ「塞翁が馬」と作ると、同じ助詞が「が」「は」「が」と、一つ置いて二つ重なる。(その後、推敲で後ろの「が」は無くなった)
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--------------------ここまで「和歌論」(二百十七)-------------------------
往路は救急車に同乗し、健常者には暑いくらいだった。帰りは病院から駅までと、駅から家まで歩いたが、外套を着てゐないのでかなり寒かった。速足で歩き体を温めた。外は暗いので、走ると危ない。
翌日は、病院で入院手続きをした(妻に行ってもらった)。子たちと親戚にLineや電話で連絡をした。上の子は獣医なので、人間の症状も参考になるだらうと、詳細にLineした。姪は元国立病院の看護師なので、妹への電話も詳細に説明した。(次へ) (終)
(1.07追記)姪は週に、特別支援学校一日勤務と、国立病院四日勤務に、復帰したさうだ。

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