二千五百九十四(朗詠のうた)若山牧水全集(増進会出版社)第十三巻その二、第一巻
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月十九日(木)
「黒松」の第三章「大正十四年」に入り
夜半ひとり寝ざめてをれば静けさや湯滝のひびき渓川の音

旅の宿寝覚め一人で外見れば星空の音山裾の音

「大正十五年」に入り
曇りぞとおもひしものを朝づく日障子染め来つ寒き日よりぞ

朝すぐの日は弱くして雲多くのぼるに連れて雲は消え行く

「昭和二年」に入り
夜には降り昼に晴れつつ富士が嶺の高嶺の深雪輝けるかも

昼に降り夜に凍りて朝の陽に輝く雪は美し危なし

「昭和三年」に入り
音もせぬ水の流のかぼそきが光りて庭を流れたるかも

池のある庭はあちこち家と風呂屋あと買はうとした園のある家

昔は、あちこちの家に池の在る庭があった。銭湯にもあるところが多かった。庭よりも大規模な日本庭園のある家が安かった。買はうかとも考へたが、二階部分が長く居住せず傷んでゐると云はれたので、見ずに取りやめたことがあった。

十二月二十日(金)
今回の特集群は歌集「みなかみ」から始まったので、それ以前も本歌取りを前提で読むことにした。「海の声」「独り歌へる」を再編したものが歌集「別離」なので、これから始めたい。
山脈(ヤマナミ)や水あさぎなるあけぼのの空をながるる木の香かな

山の上(へ)に夜明けの空は水あさぎ草の香木の香朝日の香あり

次は
町はづれきたなき溝(どぶ)の匂ひ出(づ)るたそがれ時をみそさざい啼く

山裾は溝(どぶ)を湧き水いで湯には網の下より湯気湧き上がる

次は
をちこちに乱れて汽笛鳴りかはすああ都会(二文字で、まち)よ見よ今日もまた暮れぬ

ここで云ふ汽笛とは、車の警笛か、工場のサイレンか。
大都会止まらず音のする街に海山森と野原恋しく

次は有名な
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

年月を幾つ越えさり振り向けば続く喜び今日も日を越す

この一首が最も本歌取りらしいかな。前にもこの歌を本歌取りしたことを後になって思ひ出した。

十二月二十一日(土)
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

白雲は山の緑と空の青染まず時には茜や黒に

しらとりの歌は前にも本歌取りした。
みだれ降る大ぞらの星そのもとの山また山の闇を汽車行く

窓の外流れる星を隠す闇みれば山の背避け汽車は行く

その二首先は
草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒

宮崎へ特急富士は闇夜行く 日本酒を飲み夕を食べ食堂車こそ旅の道連れ

反歌  食堂車外は暗やみときどきの灯り後ろへ月は動かず
富士山と特急富士(東京ー宮崎。古くは宮崎経由西鹿児島)は別物だ。ぶどう酒と日本酒も別物だ。汽車は蒸気機関車が牽引するが、特急富士は電気機関車だ。これで本歌取りと云へるか、と一瞬慌てたが、食堂車が共通だった。
朱の色の大鳥あまた浮きいでよいま晩春(二文字で、ゆくはる)の日は空に饐(す)ゆ

朱鷺(二文字で、とき)色の鳥がひととき我が国は滅びたのちに 中国の鳥を移していま増える 朱鷺は佐渡より福島へ飛ぶものもあり 中国と日本の朱鷺もかつて往き来を

反歌  群れを為す朱鷺が一羽は群れ求め佐渡より秋田福島へ飛ぶ

十二月二十二日(日)
わだの原生れてやがて消えてゆく浪のあをきに秋かぜぞ吹く

冬かぜに生まれ消えゆく浪と浪この繰り返し永久(二文字で、とは)に止まらず

次は
海岸(うみぎし)のちひさき町の生活(なりはひ)の旅人の眼にうつるかなしさ

海に沿ふちひさき町は金持つに見えざるなれど幸せ満ちる

歌集「別離」は自序に
それらの歌が背後につづいて居ることは現在の私にとつて、可懐しくもまた少なからぬ苦痛であり負債である。如何かしてそれらと絶縁したいといふ念願からそれを一まとめにして留めておかうとするのである。

とある。だから後半は、選ぶ歌が極めて少なかった。(終)

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