二千五百九十八(朗詠のうた)若山牧水全集(増進会出版社)第二巻、三巻
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月二十二日(日)
第二巻は、歌集「路上」である。
たひらなる武蔵の国のふちにある夏の山辺へ汽車の近づく

あづまなる平らな陸(おか)の端よりは青梅と河(か)辺へ行く車 鉄(くろがね)道を電(いなづま)駆ける

反歌  端よりは松本で降り一里ほど山辺の湯にて左千夫歌詠む
左千夫の歌は
菅の根の長野に一夜湯のくしき浅間山辺に二夜寝にけり

この歌を含む数首の前書きには
山辺の湯は又湯の原の湯とも云ふ。此のあたりの地名殊に優美にして趣亦それにかなふ。

とある。牧水は、関東平野の端を山辺と呼んだのに、本歌取りでは地名の河辺と山辺にしてしまった。
秋かぜの吹きしく山辺夕日さし白樺のみき雪のごときかな

赤字は破調だから失格だが、本歌取りでは解消する。
冬の山夕日は紅く照らすとも白樺の幹雪にぞ見える

次は
小諸なる医(くす)師の家の二階より見たる浅間の姿(なり)のさびしさ

小諸にて古き城より眺めれば古き火の山煙新し

歌集の半分を読み感じたことは、前作の歌集「別離」の自序とはうらはらに、苦痛であり負債とは絶縁しなかった。だから「路上」には、退廃、寂しさ、さすらひが漂ふ。

十二月二十三日(月)
移り来て窓をひらけば三階のしたの古(ふる)濠(ぼり)舟ゆきかふよ

神田川四十(二文字で、よそ)と八(や)つ年(とせ)昭和の世風呂屋三畳今は昔に

景色のみ共通。共通表現は一つも無い。
一(ひと)昔まへにすたれし流行(二文字で、はやり)唄くちにうかびぬ酒のごとくに

はやり唄五十(二文字で、いそ)年(とせ)前が今出るは窓の下には古(ふる)濠(ぼり)の歌

二組を合はせて読めば、本歌取りらしくなった。今の人は分からないから解説すると「神田川」の歌詞に「窓の下には神田川」。
常陸山を応援する歌と、常陸山がつひに負けた歌に続き
山を抜く君がちからの衰へかなぎさ落ちゆく汐のひびきか

山響く嵐衰へ雨止みて浪はわずかになぎさ落ちゆく

本歌取りらしい本歌取りになった。牧水式表現だと、本醸造本歌取りかな。

十二月二十三日(月)その二
第二巻の歌集「死か芸術か」に入り、「手術刀」の章は読点があり、破調も目立つ。この章を過ぎ「落葉と自殺」章も読点と破調は同じだが
葉を茂みしだれて地(つち)に影の濃きこの樫の樹に夏の来にけり

夏来たりつちに影濃く緑濃く暑さ激しく風のみ吹かず

「かなしき岬」章に入り
古汽船(三文字で、ふるぶね)のあぶらの匂ひなつかしく身に浸(にじ)み來て午後の海渡る

学び舎は木で造られて床板に油を敷きて匂ひなつかし

小学校低学年のときは、鉄筋コンクリートとモルタルの校舎が混在した。
ほろびゆくこの初夏のあはれさのしばしはとまれ崎の港に

初夏が過ぎて梅雨明け真夏日は昼蒸し暑く夜も下がらず

次は
夏の日の芝居の笛のかなしさよはやく夜となれ曇り日となれ

真夏日に金魚を売るの声がする少し暑さが和らぎたかも

小学生低学年の頃は、朝は納豆屋、昼は金魚売りと氷屋、幼稚園の頃に来なくなったキセル(掃除)屋と紙芝居屋。街頭は賑やかで、キセル屋は「ピー」と云ふ音、そのほかは売り声だった。氷屋は掛け声ではなく、電話を掛けると来るほか、偶々通りかかったときに声を掛けた。電気冷蔵庫が普及する前である。(終)

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