二千五百九十(朗詠のうた、普通のうた)若山牧水全集(増進会出版社)第十巻、十一巻、十三巻
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月十五日(日)
第九巻は歌集が無く、第十巻へ飛んだ。歌集「山桜の歌」の「大正十年」章は
いつ注ぐもこぼす癖なるウヰスキイこぼるるばかり注がでをられぬ

ウヰスキイ高き酒にて日の本の酒を飲むべし奢りが出たか

第八巻の歌集「くろ土」にも、ウヰスキイが出て来た。
うち越えて路にあがれる浪の泡夕日にさむくかがやけるかな

海を出て路で跳ね飛ぶ小魚(うを)手に戻すも路へ夕日背に射す

これは房総半島で、実際にあった。海に戻したら、飛び跳ねてまた路の上に戻って来た。
「大正十一年」章は「畑毛温泉にて」段落の
温泉(二文字で、いでゆ)村湯げむり立てり露に伏す田づらの稲の白きあしたを

牧水が湯げむりと詠むいでゆ村 水上石打渋川へ行く急行のゆけむりは けむり濁らず湯も濁らずか

反歌  奥利根とはるなを併せゆけむりによんさんとをのダイヤ改正
国鉄の昭和四十三年十月白紙ダイヤ改正は、「よんさんとを」と呼ばれた。急行「奥利根」は水上、石打行き。急行「はるな」は渋川行きだった。急行「ゆけむり」のほうが、旅に出ようと云ふ気分になる。一連の牧水特集は、水上SL旅行がきっかけなので、鉄道の話題が自然に多くなる。
うちわたす箱根山なみ山の背のまろきにかかるあかつきの雲

富士箱根伊豆は国にて立てる園 駿河と伊豆と甲斐相模 今は静岡山梨と神奈川あがた広がる裾野

反歌  箱根町ここは神奈川横浜に住むはた(二十)あまりいつ(五)とせ思ふ
共通点は「箱根」だけだ。これで本歌取りと云へるか。

十二月十六日(月)
第十一巻は書籍「みなかみ紀行」だ。文章「みなかみ紀行」は前に取り上げたので、今回は二つ目の文章「大野原の夏草」だ。
真日中の日蔭とぼしき道ばたに流れ澄みたる井手のせせらぎ

夏の昼日陰なき路いでゆ街湯気立つ流れまた涼しきや

次は
より来りうすれて消ゆる水無月の雲たえまなし富士の山辺に

朝明けに広がる雲は陽が登り薄れた後に富士現れる

この後の文章は、白骨温泉や上高地もあるのに、散文が中心だった。
第十一巻は書籍「樹木とその葉」。これこれの題で、と頼まれて書いた数十の文章から成る。歌もたまに入るが、既に歌集に載ったものが多かった。

十二月十八日(水)
第十二巻は歌集が無く、第十三巻の歌集「黒松」。「大正十二年」の章。
向つ岸駿河の国の長浜に浪の立てれば間近くし見ゆ

向かう岸相模の先におか(陸)があり 富士の雪にて駿河知る 二つ海越え一つ山越す

反歌  向かう岸三浦の先は相模湾箱根は見えず富士を背に見る
鋸山にまだ拘る。それほど三浦半島の先にある富士山は印象に残った。
人の世の長きはげしき働きに出でゆく前ぞいざあそべ子等

牧水は短くあまり働かずしかし歌にて功は多し

次は二つの歌で
みすずかる信濃の国は山の国海の魚なくて鯉があるばかり
その鯉の味の強きは一日うまく二日まだよく三日に飽きにけり

みすずかる信濃に母の伯母夫婦 大きな池にトロッコが家の中あり 鯉育て売る

反歌  北足立我が家近くに水の路細き流れも鯉が多(さは)棲む
北足立は川口、浦和、大宮など。東京足立区は南足立。我が家近くの鯉は、前に特集を組んだ。
冬空の澄みぬるもとに八つに裂けて峰低くならぶ八が嶽の山

八ヶ岳新宿小諸往復し アルプスまたは上高地中央線の急行に連ね走りて 小淵沢切り離しのち小海線へと

反歌  八ヶ岳八つ並ぶの頂きは美しき山列車の名にも
牧水は水上SL旅行で始まったので、前に書いたやうに鉄道の話題が多くなる。急行八ヶ岳は昭和五十年に廃止された。牧水の本歌は字余り(赤字部分)があり、内容も好きでは無いが、八ヶ岳が三首並ぶうちでは、一番出来がよかった。
「大正十三年」の章では
相打てる浪はてしなき冬の海のひたと黒みつ日の落ちぬれば

浜へ浪沖へ水行きぶつかるもやがて見えずに冬の日落ちる

次は
箱根山うす墨色の山の端にうつくしき冬の日の出なるかも

箱根山あれは相模に神奈川に駿河より見て日の出が映る

最初は、牧水と同じ光景を歌にしたが、冬は日の出が真東よりは三十度ほど南へ寄る。沼津から箱根山に朝日が昇る筈が無い。そのため、陽の光が反射する光景を詠んだ。
高らかに巻き立ちあがり天つ日の光をやどし落つる浪かも

冬の浪砕け冷たきしぶき散る陽の光にて中に虹立つ

六章のうち二章までで、今回は終はりとした。(終)

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