二千五百七十二(朗詠のうた)牧水を本歌取り(谷邦夫「評伝若山牧水」を批判)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月一日(日)
谷邦夫「評伝若山牧水」は、少し読むと読みたくなくなる。五六八頁の本で、三八八頁から始まる「鑑賞篇(1)秀歌」だけが何とか読める。一頁に一つか二つの歌と、それに関はる話が並ぶ。話は、ほとんど読まなくなった。歌は先頭が
われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

牧水愛好者にはたまらないかも知れない。牧水も先頭に配置した。本歌取りすれば
歌を詠む嬉し悲しき一つづつ心の動き綴る喜び

どこが本歌取りなのか、と云はれさうなくらい変はってしまった。次の
海断えず嘆くか永久(とは)にさめやらぬ汝(なれ)みづからの夢をいだきて

海断えず山より高き力在り心新たに明日への力

今回は、やや本歌取りになった。三つ飛ばした先の
水の音に似て啼く鳥よ山ざくら松にまじれる深(み)山の昼を

せせらぎと鳥啼く声は澱まずに深(み)山射す日もまた途切れ無し

やっと本歌取りになった。
なにとなきさびしさ覚え山ざくら花ちるかげに日を仰ぎ見る

山ざくら咲くさびしさとちる強さ経た年月の長さを潜む

一つ飛ばして
津の国は酒の国なり三(み)夜(よ)二(ふた)夜飲みて更らなる旅つづけなむ

日の本の酒は米から甘み経て辛さに変はる神ちから有り

どこが本歌取りなのか、と云はれさうなくらい変はり果てた姿になった。日本酒の製造法は、2021年に日本の登録無形文化財に登録され、今月中にユネスコ無形文化遺産に登録される見込みだ。
牧水も、酒を飲み過ぎて若死したとして登録無形文化財に、指定される訳が無い。

十二月一日(日)その二
火を噴けば浅間の山は樹を生まず茫として立つ青天地に

火を噴けば鬼押し出しを作る山樹々は育たず煙旅立つ

四つ飛ばして
藻草焚く青きけむりを透きて見ゆ裸体(二文字で、はだか)の海女と暮れゆく海と

藻を焚けば煙の先に暮れる海働く海女を浜歩き見る

二つ過ぎた先は、有名な
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

幾たびか国(くに)境越す若き旅老いて行かずは我が寂しきか

歳を取って海外旅行へ行きたく無くなった。自分の意志だから寂しくは無いが、牧水の歌に合はせた。本心取りかな。
けふもまたこころの鉦を打ち鳴らし打ち鳴らしつつあくがれて行く

鉦を打ち心高まり旅行けば憧れ湧きて新しき見ゆ

次は
安芸の国越えて長門にまたこえて豊の国ゆきほととぎす聴く

広島と下関超え夜走りの鉄(くろがね)の道宮崎へ着く

寝台特急「富士」に乗ったときを回想して作った。帰りに車掌が牧水のオレンヂカードを販売に来たので、一枚購入した。牧水の資料をいっしょに頂いた。JR化された直後で、金利も低くはなかったので、オレンヂカードを販売するとJR九州も利益を上げたのだらう。六つ飛ばした先は、有名な
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

白き鳥見る哀しみは森と崖色濃き影が心へ沁みる

これも本心取り。舞台が海から山へ移動した。

十二月二日(月)
このあと、恋愛問題で混乱の中で
海(うな)底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり

海の底眼の無き魚になる心一時ばかり静かに過ごす

牧水の心境で詠んだ本心取り。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

心にもしみとほる酒寒き夜に頭と体また暖まる 控へ目に飲む

短歌の本歌取りが、なぜ仏足石歌になるのか、と云はれさうだ。牧水のやうに酒で早死してはいけない。
このあとは四首でこの歌集は終了し、「死か芸術か」「みなかみ」は飛ばす。このころ結婚し、長男が生まれた。父親の死で宮崎へ帰郷し、故郷に留まるやう周りから云はれた時期だった。次の「秋風の歌」は、信州から妻と子を呼び寄せて、大塚窪町20番地に住んだ時期だった。幼児を詠ったものも多い。(終)

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