二千五百八十九(うた)文化大革命失敗の理由
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月十五日(日)
毛沢東の文化大革命が失敗した理由は、単純唯物論に堕した、の一言に尽きる。とは云へ、個々の原因を精査することは、世の中に役立つ。
一番目は造反有理である。江戸時代のやうに、一揆を起こせば死罪の世の中で一揆を起こすのは、よほどの理由が無くてはできない。これは造反有理である。しかし、毛沢東が云ったから、軍を率ひる林彪が味方だから、と云ふ理由で造反するのは、有理ではない。
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二番目に、闘争は言論で行はなくてはいけない。暴力や多数決ではいけない。ここで注意すべきは、多数決が堕落すると暴力と変はらなくなる。議席数で圧倒し、答弁の途中で野党側に野次を飛ばした安倍が典型であった。或いは、議席数で圧倒し、自殺者を出し、お友だち依怙贔屓を行なひ、文部政務次官の個人情報を公開し、森友学園の理事長にトカゲの尻尾切りを行なひ、黒川を検事総長にごり押ししようとしたことが、典型であった。
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三番目に、個人崇拝をすると、その人自身が変はってしまふ。これが、美しい景色や天然記念物や重要文化財との違ひである。
四番目に、西側は資源大量消費地球破壊経済である。これに対抗するには、西側に資源大量消費を止めさせてから行はないと、経済や技術で差をつけられてしまふ。
五番目に、三番目の理由とは別に、役職を得るとそれを維持しようとする欲が出る。権力欲、名誉欲、金銭欲である。

十二月十六日(月)
或る人が事業で成功したとする。それは弛まない努力の結果だが、成功の後は努力したことを忘れて、俺の才能だ、と勘違ひする。毛沢東も同じで、国共内戦に勝利したのは弛まない努力の結果だ。それなのに、俺の云ふことは正しい、と勘違ひしてしまった。そこへ昨日の三番目が加はり、大変なことになった。
もう一つある。或る人の云ふことが十割正しいことも、十割違ふことも無い。九割五分は正しく五分は違ふなど、個人と状況でさまざまだ。
どの人も十割正しいことは無し 日々の努力で十割に近づくことは奨励される

反歌  弛まざる努力に由りて勝利するしかしその後は努力忘れる

十二月十七日(火)
林彪墜落死事件の前に、毛沢東は文化大革命を抑制してゐると云ふニュースが、日本で流れた。林彪事件の後は、最左派の林彪が死亡したので毛沢東は穏健化するのではないかとするニュースも、日本で流れた。穏健化する前に死亡したが。
今回のNHK番組では、林彪は毛沢東崇拝者として描かれた。しかし最左派だから、毛沢東と組み多数派を形成したのではないのか。
毛沢東は、劉少奇と鄧小平を追ひ落とし、権力を再び手にしたから文化大革命を続ける必要が無くなった。権威と権力を同時に持ってはいけない典型例となった。
権力は魔物の館権威者が兼ねてはならず毛沢東死す

林彪は国家主席を望んだため、毛沢東と不仲になったとする説も、当時の日本では強かった。毛沢東と劉少奇、毛沢東と林彪で、権威と権力を分ければよかった。(終)
---------------------ここから(モリカケ・・・カルト裏、三百十六の四)----------------------
(12.18追記)或る男首相と為りて官邸へ その時魔物はまだ居らず男自身が魔物と化した
反歌  或る男権力持つも権威者に為れず途中に剣悪と為す
反歌  あの男保守の権威に為れたのにモリカケカルトその身滅ぼす
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