二千五百八十六(うた)NHK「毛沢東 革命と独裁」
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月十二日(木)
NHK「毛沢東 革命と独裁」を観た。本題に入る前に、この放送は連載物「映像の世紀バタフライエフェクト」の一つとして放送された。バタフライは良いが、エフェクトはいけない。さすが言語障害集団である。
本題に入り、放送はアメリカでの裁判から始まる。毛沢東の秘書を務めた男が、日記をアメリカのスタンフォード大学に寄贈した。奥さんが返還を求めた。これでこの番組は台無しになった。世界がアメリカに従属する印象を、視聴者に与える操作だ。
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毛沢東は、共産党以外の会派とも協調するとして新民主主義を掲げた。これは高校の世界史の資料集にも載ってゐたが、今回の放送では協調のみを取り上げ、名称は取り上げなかった。これは問題ない。
百花斉放百家争鳴では、発言した人がつるし上げられたり投獄されたことを放送した。今から四十年ほど前にNHKが放送したときは、百花斉放百家争鳴が始まってもほとんど意見を云はないため、共産党が意見を云ふやうに呼びかけ、それに答へたのに後に発言内容で処罰や不利な扱ひになった内容だった。
ここには、発言内容が毛沢東の期待したものと異なったため、毛沢東が変はったと前回の放送では考へられるが、今回の放送は毛沢東の人格が悪いことになる。もっと掘り下げる必要があった。
毛沢東が国家主席を辞任し、共産党主席だけになったのは、権力は持たないが権威はある。この状態だと思ふが今回の放送では、権威を失ったのに、林彪が個人崇拝を復活させたことになってゐる。それで正しいのか。
それより、文化大革命がなぜ止められなかったかについては、林彪が国防相だったことが大きい。軍が後に付けば、他の省庁はどうすることもできない。文化大革命は、下からの運動ではなく、軍を味方に付けた云はば幕府のお墨付きをもらって藩に一揆を起こす運動だった。
文化大革命の過ちは甚大だと思ふのだが、弾圧された側の鄧小平は、毛沢東は功績七割過ち三割だとした。小生は、功績三割過ち七割だと思ふが、弾圧された人がさう云ふのだから、これが正しいのかも知れない。(12.14追記、過ち七割は多すぎて六割が適切かとも思ふが、百花斉放百家争鳴後の弾圧、彭徳懐解任、個人崇拝容認を含めると、小生は七割だと思ふが、鄧小平が三割だと云ふのならそれが正しいのだらう)
NHKの放送紹介では
毛沢東は、革命家として世界中の若者を熱狂させた一方で、粛清や破滅的な経済政策で数千万の犠牲者を出した稀代の独裁者でもあった。中国が経済成長への道をひた走る中で一度は過去の人となったが、死から半世紀が経った今、毛沢東人気が再燃している。それを後押ししたのが、習近平国家主席による毛沢東への再評価だった。毛沢東を英雄と称え、自らをその継承者として重ね合わせている。毛沢東の革命と独裁への道のりを見つめる。


毛沢東の誤りは、単純唯物論に堕落したことだった。コンピュータを考へれば分かるが、電子回路本体の上でOSが動き、OSの上でアプリケーションが動く。人間も同じで、OSと云ふ文化、社会、人間関係が必要である。それれなのに毛沢東は、文化大革命と云ふ名の、文化大破壊をやってしまった。
弁証法的唯物論では、正→反→合と進む。ところが毛沢東は、文化において反が、中華人民共和国建国の後は無いのに、文化を破壊した。共産主義において、反とは「資本主義の堕落したもの」であり帝国主義である。もし文化を反だとして破壊するなら、それは猿人から原人、新人と進化した歴史の破壊となる。
資本主義の堕落したものは、文化を破壊し地球を破壊しようとしてゐる。これに反対することは正→反→合に沿った正しい道である。
単純の唯物論は悪魔の思想 世の中と文化を反としてはいけない
(終)
(追記12.13)文化大革命は、文化破壊ではなく、新たな文化を創造しようとしたと、好意的に解釈することもできる。しかし文化の創造は、人類が数千年を掛けて行ったことだ。短期間にできることではない。
同じ過ちを繰り返すのが、リベラルである。これも人類が数千年掛けて行ったことを、数年でやらうとしてゐる。LGBTに至っては該当者の人権は保護すべきだが、生物が有性生殖に進化する五億年前にまで遡るのだから、絶対に無理である。
更に同じ誤ちを繰り返すのが、資本主義の堕落したものである。何億年も掛けて築いた大自然を、地球温暖化で破壊してゐる。
(12.15追記)「資本主義」を「資本主義の堕落したもの」に変更した。資本主義自体は、金を集めて事業を始めるものだ。しかしそれが堕落すると、大航海時代から昭和五十(1980)年までは帝国主義、その後は地球破壊主義に堕落した。

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