二千五百五十(うた)1.中村元「原始仏典を読む」2.定住と遊行
甲辰(西洋未開人歴2024)年
十一月十三日(水)
中村元「原始仏典を読む」は、前に読んだと思ひ検索してみたが見つからなかった。今回が初めてだった。スッタニパータについて
最初期の仏教が示されています。修行者たちも樹下石上に坐し、洞窟に瞑想する簡素な生活を(中略)大規模な僧院(精舎)の生活はまだ始まっていませんでした。
釈尊の生涯は途中から、竹林精舎や祇園精舎になるのかと前に書いたが、さうではないやうだ。中村さんはニッタスパーナでは
「真のバラモン」または「真の道の人」たるべきことを教えています。(中略)新たな宗教を開創したという意識がありません。
次にダンマパダについて
人はいかに生きるべきであるか、人生の指針を与えた書
とする。
もともと南アジアの諸国で尊ばれて愛誦され(以下略)
南アジア諸国の人々は、この『ダンマパダ』の文章を唱えますが、それを聞いた人々は、パーリ語の素養があれば、聞いただけで解るのです。
それだけやさしい文章なのだらう。そして
古来、仏教倫理は次の一つの詩句にまとめられると云われています。
すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、ーーこれが諸々の仏の教えである。(一八三)
とある。
十一月十五日(金)
「原始仏典を読む」は講習会用に作られた。中村さんの健康問題で、講習会は実現はしなかったが、本は残った。その第三講は「最後の旅路」である。釈尊は、亡くなるまで遊行を続けた。これが今日の結論になった。
戒律と頭陀行の分け方は、定住と遊行と言ひ換へることもできる。
頭陀行は戒律に付加又は別 定住及び遊行とに言い換へられる 日本では曹洞宗と良寛和尚
反歌
曹洞宗良寛和尚並べたは同じに非ず真逆を示す
反歌
曹洞宗戒律形骸定住に良寛和尚その逆を行く
頭陀行は、戒律に付加することが初期仏法の時代だらう。根本分裂或いは十八派乃至二十派への分裂の頃に、戒律と頭陀行、つまり定住と遊行に分かれたのでは。頭陀行即ち遊行は、街中ではないから目立たなかった。
根本分裂の前にも、マハーカッサパ(大迦葉、摩訶迦葉)やデーヴァダッタが分裂したとも云へるし、マハーカッサパは第一結集の中心者と云はれるから、分裂はデーヴァダッタだけかも知れない。デーヴァダッタの末流がマハーカッサパを担ぎ、その流れが達磨大師に伝はった可能性もある。(終)
「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百二十)
「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百二十二)
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