二千五百四十八(うた)石飛道子『「スッタニパータ」と大乗への道』を批判
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月十三日(水)
六年前にこの本を取り上げた。しかし、中身に触れず、小生の考へる南伝と大乗の違ひを述べるに留めた。これは本に不満があるが、南伝と大乗の連携はよいことなので、取り合へず「その議論を始める前に、スッタニパータの書籍を執筆された石飛さんには敬意を表する」とした。
今回も同じ姿勢の筈だったが、石飛さんが浄土真宗本願寺派の末寺で講演した内容を読み、考へを変へた。
阿弥陀如来も念仏も、ブッダが残したことばには元々ありません。しかし、ブッダのことばをきちんと読み解けば、大乗仏教こそブッダの教えだとわかります。(中略)小乗仏教に伝わるのは出家者が彼岸にわたる方法であって、わたしたち凡夫は凡夫に適した方法で彼岸を目指さなければなりません。

石飛の話は間違ひが多すぎる。まづ小乗仏教とは、説一切有部のことなら、問題なし。北伝の説一切有部を含む各部派のことなら、許容範囲。現在の南伝のことなら、偏向女として批判対象。北伝の各部派は現存しないから、これは偏向女であらう。
次に出家者が彼岸へ渡るのは大乗も同じだ。在家は出家者を支へることで功徳を積み、人間界での幸福か、天界を目指さうとするのが仏法だ。勿論在家でも、彼岸へ渡る場合もあるだらう。しかし誰もが渡るなら、出家の意味がない。非僧非俗の親鸞門下の話だと云ふなら、大乗仏教ではなく親鸞門下と云ふべきだ。これで偏向女二つ目。
本題に入り、石飛さんはスッタニパータの第四章八偈品について訳と解説を述べる。本の題名を八偈経とすれば済むのに、わざわざ目立つ題名にした。大乗との関係は、八偈品のなかの第五経が関係し、第五経の展開が更に第九経と云ふだけだ。
第五経は、第四経までの各思想家たちの論争について(要旨)
最高であるとか、劣ってゐると断定すると、論争を超えられない。
見聞したり、戒や禁制、考へたことに、自己の内に利益を見ると、それに執着して他を劣ると見る
見解を構想してはいけない。自己を他に、等しい劣る勝れると考へてはいけない。
自己または得た物に執着しない者は、見解にたよることはない。
諸法を受領することはない。彼岸に達し、戻ることはない。

第九経は(要旨)
内面の寂静を見極める者は、これこれを説く、といふことがない。
諸欲を捨てて、(世俗に)重きをおくことがなくなってゐる者は、論争することがないようにするのがよい。
聖者は、寂静を説いて貪らず、欲にも世間にもけがされない。

これらのどこが大乗への道なのかを、石飛さんは「聖者は、寂静を説いて貪らず」だとする。寂静を説くとは、釈尊が初期仏法で説いた内容だ。決して大乗を説くことではない。それなのに石飛さんは
「寂静を説く」人々は、後に空の理論を形成し、大乗仏教へと活動の場を広げていくことになります。

こんな出鱈目な主張は無いし、277頁の本で、数行言及しただけで『「スッタニパータ」と大乗への道』は過大広告だ。
出版社は、株式会社サンガ。仙台のアイスクリーム製造業の方が始めたと記憶する。小生の妻が仙台出身なので親しみを持ったし、なぜこんな本を出版するのかと批判的にもなった。とは云へ、複雑な感情は全盛期の頃の話で、インターネットで調べると
2021年1月27日 株式会社サンガが営業停止。仙台地方裁判所に破産手続開始申立てを開始。社員4名は即日解雇となり、仙台本社はその日のうちに閉鎖され、破産管財人の管理下に置かれる。

この書籍は奥付けに、東京都千代田区神田小川町とあるから、仙台に縮小の前だ。1998年設立から二十三年だった。
篤信の志持つ会社でも 自由経済荒波と出版不況強風に 出版の街撤退し発祥地にて静かに閉じる

反歌  南伝と関はる頃に創業しコロナ騒ぎで中断の我が遍歴と重なり多し
反歌  コロナにて中断の後歌作り良寛和尚最近戻る
小生が南伝仏法と関はったのは、鶴見の総持寺参禅会から発展した。その頃創業し、新型コロナで経典学習会が終了した頃に営業停止した。小生は、歌と良寛和尚に関心を向け、このまま固定するかと思ったが、最近経典学習会が再開された。(終)

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