二千四百六(朗詠のうた)美しい調べ
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
七月十日(水)
上野動物園外の変化の冒頭の
一、「鶴見に住んだ時代で子ども二人が小さかったときに日曜は」を
二、「鶴見に住んだ時代に子ども二人が小さかったときは日曜に」
に修正した。其の前に、助詞が連続することは避ける。連続してよいのなら
三、「鶴見に住んだ時代に子ども二人が小さかったときに日曜は」
だった。これだと「に」「に」「が」「に」と、「が」を挟んで「に」が三つ繋がる。「の」を除いて、助詞の連続は避ける事が、まづ重要である。そして「の」の場合も、原則として連続は避ける。
この原則を守って作ったのが「一、」だが、「で」は語感が悪いので避けたい。あちこちやりくりした結果「二、」になった。今回は普通文の場合だが、歌でもこの原理は守ってきた。
はをがにへ 物人所時などを助ける詞 同じもの重ねを避けて調べを守る
反歌
音(ね)の数と助ける詞重ねずにつまるはねるの音(ね)は使はずに
歌は促音と撥音も避ける。そのためには、音便前に戻さずに表現を変へることが望ましい。破調にならず表現を変へることが出来ないときは、音便前に戻すが、現代口語からみると不自然な場合に、戻すか戻さないかは、何回か読み直した語感による。これは、促音と撥音ではない音便の場合に多い。
(7.17追記)「はをがにへ」は、主格と対格与格を交互に入れた。「てにをは」を使はない理由は、富士通時代に課長で「てにをはを直すぞ」と云って、他人の作った文章をやたらと直す人がゐた。佳くなるならよいが悪くなる。他部門への文章は、右上に課長名と印鑑を押すものの、文章の最終行右に、担当として自分の名前を書く。あんな駄文を書いたと思はれたくないから、よく口論になった。富士通を辞めたのは、駄文に直された為だと云ってもよいくらいだった。
七月十四日(日)
NHK批判(さりげなくイスラエル支持)で詠んだ
NHKアメリカ支持で固まりて イスラエル迄支持するは アメリカによる或いは指示か
は、支持、支持、指示と同じ音が三つ繰り返したことと、支持と指示の掛詞を目指した。
モリカケ・・・カルト裏安、三百の
生贄の萩生田及び閥川の丸川解任支持を回復
は原文に書いたやうに「閥は派閥の、閥川は丸川の、掛詞」だがもう一つ、生贄は萩生田の枕詞、閥川は丸川の枕詞で作った。枕詞は、序詞と同じやうに自作できる。これは(土屋)文明の説に従ったものだが、一句の序詞と考へてもよい。
古今集以降は、言葉遊びの要素が出てくる。それでは、万葉集が何を目指したかを探ると、朗詠の美しさだらう。それは古今集以降も、明治時代半ばまではさうだった。しかし和語以外が爆発的に増えて、和語のみで作ることは難しくなった。それではどこで佳さを出すかを探すと、これまで主張してきた実効の美しさのほかに、枕詞、掛詞、序詞、同音繰り返しがある。
美しさ出すには歌の実を効かす枕と掛けと音(ね)の繰り返し(終)
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