二千四百七(うた)上野動物園その五
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
七月十一日(木)
本日は、午後から東園へ行った。猛禽類を観たあと、閑々亭があるので安心した。其の前に、旧パンダ展示場は中へ入れないが表はまだ活きてゐた(と云っても、僅かな説明と、展示は西園と云ふ案内だけだが)。ゴリラ・虎の棲む森を観たあと、西園への連絡バスに乗らうとしたら、満席だった。東園と西園は日を分けて観ると決めたばかりだが、本日のスポットガイド(ボランティアによる説明)と飼育員の説明は西園なので、苦渋の選択だった(と云ふほど大袈裟なものではないが)。
連絡バスに乗れないなら仕方がないから、北極熊とアザラシの海を先日に続いて再度観たあと、西園へ行った。奥のパンダと中央のパンダを観て時間を調整した後、ペンギンの説明を聴いた。
三十年ボランティアを続けたさうだ。ペンギンの西側は、元はビーバーがゐた。二つの動物は、運動の為に、かつて園内を散歩させた。動物が高齢で亡くなっても、代はりを得られなくなった。
なるほど展示する種が少なくなったのは、繁殖計画で動物園ごとに動物を分けただけではなく、手に入らなくなった理由もあった。
ケープペンギンはアフリカのケープに棲むので暑さに強い。昔はサル山の猿が木を伝はって抜け出し、都電の線路の辺りに来たが、餌の時刻までには戻った。今の猿は下北半島から来たが、最初は毛がふさふさだったのに、だんだん東京の気候に慣れて薄くなった。其の前にゐたのは南の方からで、今は雑種のところで展示。上野は三珍獣(パンダ、オカピ、コビトカバ)すべてがゐたが、今は二つになった。かつて鵜の池で枯れた蓮の除去を行ったが、百万円掛かるのでやらなくなった。
以上のお話を伺った。飼育員の説明を聴きに小獣館へ行くとやってない。仕方なくアイアイの棲む森へ行った。館内は暗く、見えないで出口に至った。外から入口に戻り、ボランティアの案内に訊いたら、じっと見ていると動くさうだ。まばたきせずじっと見るのは大変である、と云ふのは冗談である。眼底写真撮影とは異なる。じっと見たところ、展示四ヶ所のうち二ヶ所で観ることができた。と云ふか何かゐることが分かった。
そのあと、日本の家畜を観た。白い馬は眼が見えず、しかも痩せてゐるので餌に工夫すると説明文にあった。豚も観た。ヤマアラシも観た。ここで異変が起きた。、といふほど大袈裟ではないが疲れた。それより新発見があった。子供動物園すてっぷはここなのかと、初めて知った。子供動物園は、ヤギか羊が逃げないやうに、ばね式扉があった。それがないので、まさかここが子供動物園とは気付かなかった。
更に古くは、お猿の電車が無い。最初のお猿の電車は、東京都交通局電車部の職員が線路の脇の小屋で操作とした。と云ふのは冗談で、動物園の係の人が操作した。二代目は、イルカのショーと同じで、訓練してピーと云ふ笛の音で猿がコントローラー(アクセル)のハンドルを回すやうになった。
その後、動物虐待だとしてお猿の電車は、廃止になった。その横を走る都電と、東園と西園を結ぶモノレールも廃止になり、東京都交通局電車部三珍乗り物はすべて廃止された。このうちお猿の電車は冗談で、東京都交通局ではない。三珍乗り物も冗談である。弁天門の少し先で折り返すトロリーバス(101系統、上野公園-今井)を忘れてゐた。四珍乗り物が正しい。「珍」は、三珍獣の本歌取りである。
暫くベンチで休んだ後に、一心発起し(と云ふほど大袈裟ではないが)連絡バスで東園に戻ることにした。
このバスは休止時間があり、その直後である。10分前なのに予想どほり誰もゐなかった。暫くして若い男女と、乳母車二台と母親とその一族郎党で、八人になった。定員は十一人である。発車直前に、ドイツ人男性三人が来て、都議会立民党も文句を付けられない乗車率になった。発車し暫く走ると、左側に水月ホテル鴎外荘は完全な更地になってゐた。
東園に入ったあと、猿山を観た。ここは飽きない。蚤取り(毛繕ひ)をする穏やかな雰囲気なのに、突然とげとげしい雰囲気になった。じっと見てゐると、子供猿が悪さをして普通はすぐ収まるが、収まらないと多数の猿が叫び大騒ぎになるもののまた収まる。ここは、長時間観ても飽きない。
絶滅の恐れのある鳥 メスのみで棲むのを不思議と思ひたが 老後安泰心が和む
反歌
目の見えぬ歩行困難老衰と種が違ふのに三頭仲よし
盲目の馬と、歩行困難なヤギと、老衰のアルパカ(不確実)が一つの飼育場に仲良く棲む。今回は、全体を軽いお笑ひ風に書いてみた。いろいろな文を試みる一環であった。(終)
(7.12追記)盲目の馬は近くの飼育場で、ヤギとラマとアルパカがいっしょだった。
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