二千四百二(朗詠のうた)上野動物園外の変化
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
七月七日(日)
鶴見に住んだ時代に子ども二人が小さかったときは日曜に、小生が上の子、妻が下の子を看た。上の子を連れて、品川水族館や野毛山動物園、上野動物園前の遊園地に連れて行ったことがあった。
上野だけ動物園ではないのは、往復に時間が掛かるから、幼稚園入園前の子と動物園に入っても疲れて帰ると云ふだらう。そこで、動物園前の遊園地に連れて行った。
品川と野毛山にある 八尺鳥(やさかどり)息づくものが棲む園へ 幼き子連れ見に行くは 今懐かしき思ひ出となる

反歌  上野では遊ぶ園にて乗り物に鶴見からでは遠きが故に
今回動物園の東園へ四回行き、正門前の遊園地が無くなったことと、弁天門近くにあった茶店桜木亭が無くなったことが気になった。インターネットで調べると、ITmediaビジネスのホームページに2016年の記事で
上野動物園“正門の光景”が変わる 「桜木亭」と「上野こども遊園地」営業終了のワケ

が見つかった。
上野動物園の正門の光景が、大きく変わろうとしている――。「パンダ焼き」を販売していた「桜木亭(パンダ支店)」が6月末に営業終了、そして「上野こども遊園地」が8月末に70年間の歴史に幕を下ろした。

今は、正門前がだだっ広い空き地になった。並ぶのに便利なだけになった。桜木亭パンダ焼きは、正門旧入口に向かってすぐ左にあり、手前に広がってゐた。桜木亭自体は不忍池への入口入った左に在り、写真で見ると、ビール、カレー、ラーメン、ソフトクリームの縦型の旗が立ってゐた。
花園門は、水月ホテル鴎外荘の少し先右側の東園にあり、動物病院の脇だと長年思ってきた。小学生の時、夏休みに上野動物園の催しに申し込み、二日目は集合が開園前なので花園門がら入った。
ところが数年前に、都電上野動物園前の停留所前の西園に面した出入口を花園門と書いた資料を目にした。そんな筈はないのだが、検索しても分からなかった。副産物として上野動物園のホームページには年表があり、抜粋すると
1948 昭和23年 子ども動物園が開園し、お猿電車が開通。
1949 昭和24年 この年から1951(昭和26)年にかけて、東照宮周辺から不忍池北畔まで園域の大拡張がおこなわれた。
1957 昭和32年 モノレールが開通
1961 昭和36年 「いそっぷ橋」完成。
1964 昭和39年 大水族館が開設。

ここまでは、既知の範囲だ。此処から先は、鶴見に住んでゐたので知らなかった。
1996 平成8年 4月、「ゴリラ・トラの住む森」オープン。
1999 平成11年 両生爬虫類館(ビバリウム)オープン。
2004 平成16年 「ゾウのすむ森」完成。
2005 平成17年 サポーター資金による展示改善で、「カワウソチューブ」、カナダヤマアラシの展示場が完成。
2006 平成18年 「クマたちの丘」オープン。
2007 平成19年 新フラミンゴ舎オープン。
2009 平成21年 「アイアイのすむ森」オープン。
2010 平成22年 天然記念物の下北半島のニホンザルの展示を始める。
2011 平成23年 「ホッキョクグマとアザラシの海」オープン。
2014 平成26年 管理事務所が3月10日に西園へ移転、耐震化のため6月23日に動物園ホールを閉鎖し解体。
2017 平成29年 子ども動物園が移転して「子ども動物園すてっぷ」としてリニューアルオープン。

「上野花園町」を調べると、上野桜木町として分割したため、今は池之端三丁目の1番から3番で、水月ホテルの辺りだ。やはり動物病院脇の通用門が、花園門だ。
---------------------ここから(路面電車、客車、その周辺、二十八)-------------
それでは上野動物園前の停留所から西園への門は何と呼んだのだらうか。インターネットで調べても分からなかったが、副産物があった。AERAdotに
忍ケ丘には(中略)1872年に創業した西洋料理の草分け「上野精養軒」が所在する。また、忍ケ丘の北側には上野東照宮神社もあり、道(ママ)坂線の開通時には上野東照宮下と呼称されていた。上野動物園前に改称されたのは戦後の1951年だった。
(中略)モノレールは、上野動物園本園と不忍池分園330mを結ぶ懸垂方式のモノレールで、(中略)その後、駅名が本園→東園、分園→西園に変更。

道坂線は動坂線の誤り。都電の電柱には一本一本に線名が書いてあり「動坂線」だった。今回注目したのは駅名。
池之端七軒町(後の池之端二丁目)から上野動物園前方面に向かふと、左側でヤギかひつじを飼育してゐた。動物園の西園は右で、調べると化粧品会社の敷地だった。化粧品会社が、動物を飼育するのに都電の専用軌道を隔てた動物園隣は、今思へば鳴き声、臭気で苦情が出ない為に、好都合なのかも知れない。
上野動物園前を走る都電が廃止になった直後に、トロリーバスの「上野公園」停留所だった所(既に廃止)すぐ近くの交通局の電線二本に、20cmほど離れて線を分けた跡が突然現れた。都電愛好仲間が、トロリーバスの線だったのでは、と言ひ小生も賛成だった。今思へば、都電廃止の後に、モノレールへの送電に支障があり、暫定で配線ののちに、撤去したのだらう。単相600Vである。
モノレールトロリーバスと都電には深き思ひ出長き思ひ出
(終)
(7.10追記)専用軌道左側(上野公園に向かって)のヤギかひつじは、都電が廃止になる数年前からで、その前は無かった。或いは都電廃止を見込んで動物園敷地拡大のため、化粧品会社の跡地を東京都が購入し、飼育場にしたのかも知れない。
花園門は旧管理事務所の横だったが、年表によると平成26年に移転したため、移転後の横を花園門と間違へたのだらう。
(7.15追記)「上野動物園百年史」がさいたま市立図書館にありそれを見ると、今の池之端門が花園門だ。詳しくは「上野動物園百年史」へ。

(路面電車、客車、その周辺、二十八)へ 兼、(路面電車、客車、その周辺、三十)へ

(上野動物園その四の一)へ (上野動物園その五)へ

メニューへ戻る うた(九百四十一)へ うた(九百四十三)へ