二千七十三(和語のうた)1.文明「枕詞及び序詞について」、2.枕詞序詞を作らう
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
八月二十三日(水)
文明の「枕詞及び序詞について」は昭和四年「心理学研究」誌に掲載された。今回は「萬葉集私見」書籍(第1刷1943年、第2刷1993年)で読んだ。第2刷が五十年後、気の長い貴重な本である。
枕詞及び序詞は文法上はいづれも修飾語と見なすべきものである。詩歌の中にあつて修飾語たるべきものは製作者の創作力を振ふべき点で、之をば単に模擬襲用で済ますのは近代の製作者には考へられないことであらう。
ここまで同感。だから近代は枕詞を使ふ人は少ないし、序詞に至ってはほとんど使はない。小生は、序詞を復活させたいものだと考へてきた。
今日普通枕詞序詞といふも総て類型的なものであり超個人的なものであるかといふに、現存せる用例ではその点は寧ろ否定されなければならない。一用例にすぎない枕詞序詞は甚だ多く、又序詞にあつては多くの場合個人的改変を加へて繰り返される(以下略)
戦後では、枕詞は固定、序詞は個人で創作したものと習ふが、文明は枕詞が個人の創作、序詞は個人の創作ではあるが改変したものが多いとする。これは枕詞の普及、序詞の復活を目指す立場からは、貴重な情報である。
今の世は 枕詞と序(はしがき)の詞ほとんど使はずに歌を作るも よろづはを偲び二つを使ふ歌 作れることは心が躍る
反歌
急がずによろづはの世の心にてゆったり入れるまくらはしがき
八月二十四日(木)
まづ枕詞を作った。
森囲む山の小路を登り着く左千夫の歌を刻むふる石
「森囲む」を山の枕詞とした。浅間温泉裏山の桜ヶ丘へ行ったときを回想した。
命生む海に汚れた水流す 福島のほかすべてでも 更に悪いは油より作るやに形 土や水戻ることなくいつまでも残り魚や生き物殺す
反歌
留まらず川に汚れた水流す福島よりも悪き行ひ
「命生む」を海の、「留まらず」を川の枕詞とした。福島より更に悪いのがプラスチック、福島より更に悪いのが川の汚染、と云ふ内容だ。(だからと云って福島がよい訳ではない。放射線が低いまたは出さない物質で有害なものが含まれてゐるのではないか。)
次は序詞に入り
長き年経て命生む海川に物を流すな生き物が棲む
「長き年経て命生む」は海の序詞。同音繰り返し型だが、「長き年経て命生む」のは海だと解釈すると、単なる就職語になってしまふ。序詞と修飾語は、きちんと二分はできない。
指を切り腫れて膿出る海川に物を流すな生き物が棲む
これなら完全に序詞だが、これよりは先程の歌がはるかによい。
西の人星に膿出す海川に物を流すな生き物が棲む
これなら意味もあるが、小生は最初の歌が好きだ。
八月二十七日(日)
次は、比喩型の序詞で
くろ煙鬼が燃やすか凄き熱星は暑さで滅びの淵へ
比喩型の序詞は難しく、三日掛かった。と云っても一昨日は夕方、昨日は何も考へず、本日は朝だから、実際は十五分か。もう一つ掛詞型があるが、掛詞は好きでは無いので省くことにした。(終)
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