二千三百七十二(うた)路面電車の会外伝(付録、尾久駅北側踏切通路線線路交換工事)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月十七日(月)
路面電車の会を観て、当ホームページに三つの変化があった。まづ、噺家の尊称を匠(しょう)にした。浪曲師が師、噺家が匠。浪曲師が先生で、噺家が師匠だと、大げさすぎるので。
二番目に、「路面電車、客車、その周辺」リンクを新設した。三番目に、「浪曲」リンクを「いろは亭、浪曲」に変更した。それまで、いろは亭は浪曲を聴きに行くのが目的だったが、落語もやはりいいものだと思った。
落語の志向も変化した。これまで落語は古典のみで、しかも今後は浪曲のみにする筈だったが、新作落語もいいものだ。人間には減点型と加点型がある。小生は、典型的な加点型だ。落語では、古典が減点型、新作が加点型。小生は新作が合ふ筈だが、古典芸能として落語を観る為に古典型になってゐた。
「都電物語」は、乗客としての噺家が考へた新作だ。六十年前だから、今では古作だが。せっかくの「都電物語」は、演じる人がゐないと廃れてしまふ。今後も受け継ぐ人が輩出してほしい。
それに対し、『地下鉄戦国絵巻』は鉄道マニアの噺家の考へた新作だ。三田線の、高島平から西高島平までの話や、南北線と線路を共通する区間の話や、巣鴨から先の話。動物園のモノレール。E電や東部のアーバンラインみたいに誰も呼ばない話。マニアではないと思ひつかない。
それだけに、マニアが聴けば爆笑だが、一般の人もなるほどと肯ける。会場では、爆笑する人が二人ゐたので、鉄道マニアだとわかった。小生は、肯く側だった。小生が爆笑したのは、紙切りを頂いた観客が交通費に、と少し渡したのに対し「かういふことは二度と・・・やめないでください」と、駒治匠登場の時に、小生が「まってました」と声を掛けたら、「掛け声が掛かりましが、親戚は有難いですね」と対応した場面だ。
掛け声を舞台に掛ける幾年ぶりか コロナにて寄席へ行くのは幾年ぶりか
駒治匠の二階からの景色について、窓の外は尾久駅構内客車操車場の線群が収束する場所だ。引き上げ線が二本あり、かつては北側への入換が行はれた。今は線路に枕木を乗せて休止状態だが、先日、通路線の踏切手前の線路を撤去した。踏切から先は、上下の本線のみにすると思ったら、数日後に使ってゐない本線側洗浄線二つを切り離しただけで、通路線を引き上げ線に再接続した。つまり分岐器二つを撤去する工事だった。枕木による休止状態は変はらないので、或いは引き上げ線二本を留置線に転用する計画か。
駒治匠二階窓から操車場見る楽しみは今後も続く
旅行以外で、外伝が付くのは今回が初めてだ。ホームページの三つと、志向の変化と、そして外伝。「路面電車の会」が素晴らしかったことを示す。(終)
(6.22追記)尾久駅北側の通路線(上下の本線と、洗浄線に挟まれる)は、15両の引き上げ線として使ってゐることが分かった。10両の時は問題ないが、15両のときは隣二線の洗滌線が合流する。その分岐器を廃止したのだった。15両停止位置の先は枕木で車止めにし、そのすぐ先の踏切は休止線状態だった。
踏み切り先にある二本の引き上げ線は、客車区と第一予備へは休止で、組替線と回骹(字が不鮮明)線(特急寝台車やホッパー車が留まってゐる線か)にのみ繋がるみたいだ。
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