二千三百七十九(うた)石田吉貞「隠者の文学」「良寛その全貌と現像」
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月二十一日(金)
石田吉貞さんの「隠者の文学」「良寛その全貌と現像」を読んだ。石田さんは新潟県出身なので、良寛和尚愛好者だと思ったが違ってゐた。定家と新古今愛好家だった。中学、高校の教師の傍らこれらを研究し、後に大正大学教授。
「良寛その全貌と現像」は過去に二回読んだ。一回目と二回目は、中立やや同意的に読んだが、今回は「隠者の文学」が同時だったので、批判的になった。石田さんは、良寛和尚を隠遁文学者として見てゐる。小生は和尚と見るから大違ひだ。
「隠者の文学」は西行を中心に、長明、兼好を取り上げる。良寛和尚は僅かに登場する。まづ
隠者の文学には三つの様式がある。(中略)西行様式は、さび系の美を中心にひとえに自然を対象とし、長明様式は、ひとえに閑寂の生活を対象とし、兼好様式は、ひとえに人間を対象とする。
小生は三つの様式に反対である。良寛和尚は、三つを兼ねる。そもそも小生は、良寛和尚を隠者とは思はない。純正の僧侶である。
次の話題に入り
無常観には本来二つの意味があった。一つは万物はたえず転変して常が無いという意味、一つは一切は虚仮で実有ではないという意味である。
小生は、前者が無常だと思ふから、この説は無視してもよいのだが
中世前期には転変の方が主になって、(中略)後期には虚仮の方が主になって(以下略)
次は、最近の一説に
西行は寄進集めを本業とする聖だというのである。
石田さんは必死に否定する。小生は西行が好きでは無いので、なるほどと思ふ。
以上で「隠者の文学」を終える。このあと良寛その全貌と現像を読むと、物足りなさすぎる。それは
良寛には生涯に二つの大きな転向があった。一つは俗人から出家への転向、一つは禅僧から隠遁僧への転向である。
石田さんは、隠遁僧とするからまだ許容範囲にある。僧ではなくなったとする説が多い。混同万嘘は、その一人である。
とは云へ、良寛和尚は托鉢をするし、詩や歌を作ったり訪ねて来た人たちとこれらを論じるし、村人たちとの交流もある。隠遁はしてゐない。曹洞宗の組織からはみ出しただけだ。
入矢説曹洞宗を落第し 石田説では隠遁僧 どちらも誤り正しくは良寛和尚覚りを開く
反歌
石田説新古今及び西行に偏り過ぎて和尚を逃す(終)
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