二千三百八十(うた)NHK「運転席からの風景 JR鶴見線」
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月二十二日(土)
NHK「運転席からの風景 JR鶴見線」を観た。声が無いのがよい。かつてアナウンサーは、技能職に徹した。芸能番組の司会を除いて、目立たないことを心掛けた。ところが近年は、目立ちたがる人が多い。だからアナウンサーは無しがよい。キーボードから入力すると声になるソフトを用ゐて、不心得のアナウンサーを廃止しよう。
「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな154」へ
「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな156」へ
----------------ここまで「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな155」---------------------
番組は、昼間の風景と、夜間の風景を映した。運転席からの風景と、外へ降りて発車する電車を映す風景も移した。つまり四種類だ。これはよいが、駅近くの様子を説明したらどうか。国道駅は、近くに旧東海道(生麦魚河岸通り)がある。魚の問屋が二十店ほど立ち並び、朝に市を開く。
鶴見小野駅は、西側にホームと平行に貨物線の行き止まりがあった。浜川崎方面から来た貨物列車は、行き止まりで折り返し鶴見線と別れて北側へ伸びてゐた。三十一年前に鶴見へ引っ越したときは、線路は錆びてゐたが信号(入換標識)は活きてゐた。その後廃止され、遊歩道になった。
弁天橋駅手前からは、海側に貨物線が現れた。その西端には開かずの門があり、元は貨物の引き込み線だった。番組では、電車の新しい型式と今まで走った古い型式を紹介したから、初球の鉄道マニアを対象にしたらしい(因みに小生は、どちらの型式も分らない。鉄道マニアではなく、昔の鉄道を調べるだけだ)。
浅野駅からは、支線に入り運転席からの景色を映した。終点は、工場が敷地を少し提供して、降りられるやうになった。これは番組で紹介した。かつては改札口の外は工場敷地内で、一般の人は降りられなかった。
浅野駅から扇町行きの前面風景。安善駅か浜安善駅の貨車入換とすれ違った。と云っても二線隣だが。機関車は神奈川臨海鉄道だった。武蔵白石駅は、かつての曲線ホームと古い茶色電車の録画を映した。古い電車以外ホームに止められないため、今はホームを廃止した。電車が朝夕しかなく、大川駅までは映さなかった。昔は、昼間も電車があった。これほど少なくなったのは、JR化が原因だ。1996年頃、さう思った。
浜川崎駅は、その手前に海側を高架で鶴見線を超える貨物線があった。線路は撤去したが高架は残る。これは塩浜操駅(今は川崎貨物ターミナル駅)を経て東京貨物ターミナル駅へ行く大動脈の跡である。今でも中動脈くらいだが、高架を使はず浜川崎駅の中を走る。そのことも解説してほしかった。
終点の扇町は特に何もなかった。ここも引き込み線跡などがたくさんあるのだが。あと、日本鋼管内の専用鉄道跡も紹介してほしかった。小生が六年前に引っ越す時は、まだ専用鉄道跡が残ってゐた。
塩浜操駅から京浜急行へ乗り入れて、味の素の工場までも、1996年辺りまであった(インターネットで調べると1997年まで)。
鶴見には家と職場がかつてありなつかしき街 その後に職場が都内へ移転して菊名に出るが多くなり 鶴見区に住み鶴見は遠し
反歌
港北区数年住むも菊名から乗る為前と気持ち変はらず
菊名に出て耳鼻科、図書館、スーパー、市営スポーツセンター、パソコン量販店へ行った。それは港北区へ移転しても変はらず、だから鶴見区に二十五年住んだと思ってゐる。(終)
メニューへ戻る
うた(九百十九)へ
うた(九百二十一)へ