二千三百五十(うた)地元の話題(日本光電、緑川)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月二十七日(月)
家から駅までの間に、日本光電がある。ところが半月ほど前から、閉めたままになった。鎖とシャッターで道路を隔てる。インターネットで調べると、平成28年に、日本光電工業が、日本光電北海道から日本光電九州まで、11の販売子会社を吸収した。その中に日本光電北関東があり、本社はここだった。
その後、古い情報では日本光電株式会社北関東支店があったが、今はさいたま副都心にある。カスタマーサービス本部AS北関東が跡地にできたやうだ。そしてそれが、再び移転したのだらう。
地元から 関電工に引き続き日本光電居なくなる コープみらいは新築し近くのビルに分散の本部機能をまとめ発展

反歌  分散の本部の残り集約し空いたビルでは賃貸募集
文化センターの向かひ、バス通り沿ひなので、空き室で募集中が目立つ。

五月二十九日(水)
西川口で仕事のあと、緑川の鬼沢橋まで行った。水面がずいぶん低い。ここは昔から排水路なのだらう。さう思って帰宅した。地図で川を上流に辿ると、堅川と交差する。前に調べたことがある()。インターネットで調べるとWikipediaに
かつては六ヶ所村用水(六ヶ村用水、ろっかそんようすい)とよばれ(中略)堅川合流点より下流は緑川浄化施設を主な水源とする。緑川浄化施設は堅川より水をくみ上げ、バクテリアで汚れた水を浄化し、放流する施設(中略)かつては(中略)竪川を伏せ越して流下し、菖蒲川に合流していたが、伏せ越しが撤去され、上流部の水はすべて竪川に合流する

六ヶ村かつて西縁ここまでは灌漑の水流れるを 観た記憶あり今は昔に

反歌 西縁は元西福寺最終地かつてここまで流れ豊かに
元西福寺まで一年中豊かな流れがあった。普段は新曾用水へ流れ、南浦和団地の下水処理場からと思はれる水の一部が辻用水へ流れ、更に新曾用水へも流れた。田植えの時期は、大量の水が西縁を流れ、辻用水も大量の水が流れた。
その後、荒川左岸南部下水処理場が出来た為、南浦和団地の下水処理水と思はれる水が来なくなり、辻用水は一年のほとんどを流れ無しになった。(終)
「パソコン日記」と「地元の話題(日本光電、緑川)」は一つの特集で、しかも二十七日に一旦終了したが、二十八日と二十九日に追加し、別ファイルに分けた。

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