二千三百六十五(うた)地元の話題(日本光電の移転で二つの会社名が分かった)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
六月六日(木)
日本光電は、二つのマンションに事務所があった。一つは元営業子会社の本社で、親会社に吸収の後は支店だった。もう一つはサービスセンターだった。本日分かったことは、後者の建物がマンションではなく、上の階は宿泊施設で、それは出入口が無いため分かった。或いは、徹夜待機用か。
今特集の話題はそのことではなく、同じく近くのビルに富士xxxxxと云ふxxxxxの部分を思ひ出せない会社が、四十年近く前にあった。その後、看板を出さないが、入口に自転車が止まったり、中の明かりが点くので事業を行ってゐることが分かる。看板が無いので、てっきり日本光電の作業所だと思ってきた。
日本光電が移転の後も、このビルの様子は変はらない。つまり別の会社が事業を行ってゐるのだ。住所を入れて検索して、やっと分かった。採用代行、受付代行、データ入力を行ふ会社だ。ITサポートセンターが東京都中央区銀座一丁目(と云っても驚く必要はない。あの辺りは古いビルがあり、家賃が安い。今から二十数年前に、あの辺りにある零細IT会社の本社があの辺りだった)。アウトソーシングセンターが、日本光電そばのビル。本社は南浦和駅の近くだ。
それより、この会社の社長自己紹介に、富士xxxxxに三年間勤務とある。あのビルの昔の会社名が分かった。小生があの会社を知る理由は、某F社の工場駐車場に富士xxxxxと書かれた車が止まってゐたのを見たことがある。なるほど電子部品製造会社なのかと分かった。今は鴻巣へ移転したが、取引銀行にXXX銀行南浦和支店、YYY銀行南浦和支店があり、元はここが本社だったことが分かる。
更に、採用代行などを行ふ会社の創設者は、この会社の社長と同姓で、その次席の取締役だ。なるほどとすべてが分かった。
今回の調査で、日本光電が二つのビルに分散する理由が分かったし、もう一つのビルの現事業社と元事業社が分かった。日本光電の一つのビルは上層階がマンションではないことも分かった。インターネットで検索すると、あっと云ふ間にいろいろなことが調べられる。
IPがインターネットを駆け巡り 僅かな時間に情報を調べ画面に表示する 神をも超える智慧恐ろしや
反歌
人類の進歩と調和万博で五十年前云はれた標語
反歌
五十年経過の後はこの星が温暖化にて滅亡の前(終)
追記六月十一日(火)
日本光電のサービスセンターがあったビルは三階建てで、二階と三階は事務所だった。アルミサッシの二枚扉が一間用で二つあるので、二部屋の住居だとずっと思ってゐた。しかし本日よく見ると、二つの窓の間に壁が無い上に、洗濯物を干す金具(最近はプラスチック製)が無い。つまり二枚扉とベランダは住居用を転用し、中は事務所だった。
よく見ると勘違ひやら見落とした事が次々明らかになる
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