二千二百九十八(和語のうた)1.「もう一つの美」は「飽きさせず」で置き換へできるか、2.海のあなたの国遠く
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月十日(水)
これまで、歌には定型の美の他に、もう一つ美しさが必要だ、と述べてきた。この「もう一つの美しさ」を「飽きさせず」と置き換へることは可能だらうか。
ほとんど可能だが、狂歌や奇を衒(てら)ふ歌ではいけない。その一方で「もう一つの美しさ」に向かひ過ぎると、子規の歌論を追及し過ぎたやうな、退屈なものになるだらう。つまり「退屈させない」には「美しさ」が必要だし、「美しさ」には「退屈させない」が必要だ。両方を合はせて「定型の美」に匹敵する量にしたものが「もう一つの美しさ」であった。
音(ね)の数を合はせることの美しさ もう一つには美しさまたは読む人飽きさせぬ二つ合はせて一つの重さ
反歌
二つ目は二つ合はせて偏らず一つにするの美しさあり
反歌は、二つ目の美しさが{(0.9~0.1)×美しさ}+{(0.1~0.9)×飽きさせず}。そして偏らないことにも、美しさがあると云ふ。最後の部分は、小生が考へたのではなく、反歌を作るうち勝手に出来てしまった。
四月十一日(木)
これまでに何回も書いたが、歌は文章であり会話ではない。だから口語で作る時も、話し言葉ではいけない。
二番目に、破調もいけない。明治期に「あ、い、う、お」を含まず字余りはいけないことが忘れられてしまった。すると古い歌にも字余りがあるやうに見える。実際は、字余りではないのだが。そしてこの体たらくになってしまった。
三番目に、歌は詩だと意識し過ぎたことも悪かった。
---------------ここから(歴史の流れの復活を、その四百七十八)----------------
古来、詩とは漢詩だ。そこへ西洋から新しい詩が入ってきた。翻訳しても定型詩なら合格だ。例へば上田敏が訳詩した
山のあなたの空遠く
「幸ひ」住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸ひ」住むと人のいふ。
この詩が美しいのは、定型だからだ。ところが時代が経つと、日本では不定形詩が多くなった。そして歌は詩だと云ふ掛け声とともに、内容を西洋詩に合はせようとするあまり、破調の歌が出て来た。
海のあなたの国遠く
音が合はぬの詩(うた)がある
遠き国では母持たぬ子のみの音が多い故
海のあなたになほ遠く
詩(うた)真似するな国を亡ぼす(終)
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