二千二百五十二(和語のうた)島内裕子「樋口一葉の世界」(追記編)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
追記二月二十六日(月)
これは書くべきだと前に決めたのに、見つからなかったものがやっと見つかった。それは第六章の最後に書かれた
一葉が用いた仮名づかいが、厳密な「歴史的仮名づかい」ではなく、(以下略)

歴史的仮名づかひで書かうとすると間違ひも出てくる。だからと云って人類史上最悪の戦争悪魔トルーマンとマッカーサが押し付けた新仮名遣ひで書いてはいけない。同じ字を書道で書いても人それぞれ違ふ。仮名遣ひも、自分に合ふものがよい。

追記二月二十六日(月)その二
先月中旬に図書館で借りた五冊の中に「日本文学の研究史」があり偶然、放送大学の教科書であり著者は島内さんであることに、今頃になって気付いた。それも図書館のマイページの貸出状況を見て気付いた。本日は図書館休館日のため返さなかっただけで、本来は返却するはずだった。
この本は、「万葉集の研究史」の章に、次の記述があり、しかしこれだけのため書籍名を挙げるほどでもないと、そのままにしたのであった。
子規の主張は、島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明などに受け継がれ、(中略)『古今和歌集』や『源氏物語』で用いられていた「大和言葉」のみの歌を「旧派」だとして攻撃した。

最初目に付いたのは、赤字の部分だった。赤彦、茂吉、文明は左千夫の門人であり、左千夫はアララギ派が国内を席巻するのを見ずに急死したが、最大の貢献者である。その左千夫を無視することが、昭和六十(1985)年辺りから始まった。これは、戦後生まれが多くなり万葉集の地位が低下したことによる、と小生は考へた。万葉集重視を、左千夫の責任にした。
小生は、左千夫の壮大な詠ひ方は好きだが、子規と左千夫とその門人たちの歌で佳いと思ふのは5%程度だ。小生とアララギ派では、歌観に相違がある。とは云へ、左千夫を無視する傾向は偏ってゐるので、平衡を取る為に、左千夫に肩入れをしてきた。
丁度、日本国内に拝米が多く、特に船橋洋一の英語公用語論以降、平衡を取るため反米に舵を切ったのと似てゐる。それまで小生は親米または知米だった。
さて、島内さんの文章でもう一つ間違ってゐるところを指摘したい。子規は「大和言葉」のみの歌を「旧派」だとして攻撃したのではなく、欧米から新制度や新技術が入るにつれて、大和言葉のみでは表現できなくなったため、固執しなかっただけだ。子規の旧派批判は、別のところにあった。赤彦の歌を調べるうちに、そのことに気付いた。
負け戦世が全くに変はるなか 戦始まる前までのよろづ葉熱を左千夫一人に

反歌  子規左千夫茂吉赤彦それぞれがよろづ葉につき向き合ふがあり(終)

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