二千二百五十一(和語のうた)目先の利益しか考へない人は、経営者になってはいけない
甲辰(西洋未開人歴2024)年
二月二十六日(月)
小生が昔勤務した或る会社では、其の年の売上だけで営業職を評価するので、優秀な営業が次々に辞めていった。安い物を多売なら、この方法でもいいだらう。しかし高額受注だから、昨年好成績だった人が今年は芳しくなかったと云ふことが毎回起きる。それなのに一年間しか考へないから、毎年どんどん辞めていった。
技術職も同じで、生産高なる用語を用ゐて、今年は生産高が低かったと云っては、どんどん退職勧奨を出した。或る技術者が、副事業所長のことを、あの人は安い額で受注するので技術者は皆恨んでゐますよ、と言ってゐた。副事業所長は主任に降格になり、間もなく退職した。
受注した内容や担当営業によって額が変化する数字で、技術者を評価してはいけない。もう一つ問題があり、生産高なんて用語を使っては、技術者の自尊心を傷つける。開発高と呼ぶべきだ。
毎年大量の営業職や技術職が退職するのに、この男は何をやってゐるのか。目先の利益しか考へないからかうなる。この会社は従業員が三百名程度だったが、入社した途端、従業員三十名の会社ではないかと思った。それくらい質が低い。人を貸し出す商売をしてはいけないことを思ひ知らされた。この当時、人貸し会社は従業員数を十分の一として考へなくてはいけない、と主張したことを思ひ出す。もちろん会社や上層部には言はなかった。
労働者派遣の届け出もしてゐなかった。労働者派遣に必要な制度(責任者の選任、労働者への通知)もしてゐない。その後、小生が労働者派遣法違反を指摘してから届け出をしたが、責任者の選任も労働者への通知はせず、内情はまったく変はらなかった。労働者派遣法違反を云ひにくくなった分、労働者が不利になったくらいだった。
ここまでを図式すると
労働者派遣法は悪法->経営者失格の人間が居座る->目先のことしか考へない->大量の退職者を出す
日本では、退職するとその人は不利になる。今はかなり変はったが、三十年前では極めて不利になった。大量の退職者を出しながら何とも思はない人間は、人間失格である。人間失格でも経営者が務まってしまふ労働者派遣法は、或る程度の猶予期間を置いて廃止すべきだ。
商ひや物作りには気配りや障りを変へる頭あり 人貸し出しは気配りや障りを変へる頭無く 場違ひ人の居座るがあり

反歌  仕事辞めうまく行く人行かぬ人重ねて悪く答明らか
転職者の成功例を挙げることが多い。転職がいいか悪いかは、道が登るか降るかを見るのに似る。短い距離では分からない。長い距離だと、あんな高い山になるのか、あんな低い所へ行くのか、と判る。何回も転職を重ねると悪くなるから、転職は本当はしないほうがいい。誤差範囲と云ふことがあるから、一回や二回なら許容範囲か。
本当は、何回転職しても大丈夫な世の中にすべきだ。小生は昔、転職権なるものを主張したこともある。終身雇用は奴隷制と同じだと主張したこともある。つまり、転職して不利になるから今の会社で続けるしかない。これでは奴隷制だ。
人の世に生まれることは稀にして 二つ三つと仕事する 楽しからずや嬉しからずや

反歌  次の世が有る無し二つ考へのどちらにも合ふ人の世は稀
この長歌は、輪廻転生を信じる人にも、信じない人にも当てはまる。(終)

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