二千百八十一(和語優勢のうた)1.主題が三つ溜まった、2.空海と良寛
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十二月八日(金)
筑摩書房「古典入門」を読み、次は新古今和歌集を主題としようと考へた。そして図書館の予約を済ませた。その後、金葉和歌集が萬葉集に近いとする記事を読み、金葉和歌集を予約した。昨日NHKプラスで空海の風景、前編を見て、本日は空海を予約した。
主題が三つ溜まるのは初めてだ。これまでは、良寛、和歌、萬葉集など一つの主題で何冊も借りた。今回は、主題が三つだ。これは嬉しい悲鳴だ。主題が無くなることが、ときどき発生する。最近では、良寛を借りたあと次の主題が無いので、開架式の本棚から何冊か借りた。これが呼び水となり、新しい主題を生じた。そして偶々見たNHKの番組で、空海も主題に仲間入りした。
空海は川崎大師お参りの僅か縁(えにし)でつなぎ止め 昨日新たに空海と良寛重ね比べ始める
反歌
空海と良寛並べどこが似るどこが異なる心惹かれる
反歌
空海が曹洞宗で良寛が真言宗ならどのやうになる
(12.10追記)新古今集上、下と新古今集を読み始めたが、5分で読み終へた。新古今集はまったく合はない。
(12.10追記)金葉集の二冊を、歌集だと思って借りたところ二冊とも論文集だった。歌はたくさん引用するので役に立ったが、時の天皇が何回も選歌し直しを命じ、万葉集の語彙や内容の影響を受けても、歌論はこれまでの延長とのことだった。子規が古今集を批判したのは、その当時の歌界に対してであって、旧派が勢力を失った後には当てはまらないと感じた。と云ふことで、主題三つのうち二つは、あっと云ふ間に消滅した。
十二月九日(土)
NHKの放送は「こころの時代 シリーズ「空海の風景」 前編“天才”の旅立ち~大唐渡海の夢~」なので昨日は、天才の空海と天才の良寛で、共通点が多いと意気込んだ。
本日になると、空海は雄弁、良寛は口下手で、違ふことに気付いた。更に、空海は秀才型の天才、良寛は鈍才型の天才ではないか、と思ふやうになった。天才を、秀才型と鈍才型に分けるのは、今回が初めてである。空海と良寛を比べて気付いた。
秀でるのなほ秀でるが天(あめ)の才(さい) 多くの人がさう思ふ だが秀でると天の才 別のものにて重なるもある
反歌
天の才狂ふ人とも紙一重昔からよく云はれる言葉
空海と良寛を比べる試みは、一日で差が目立つこととなった。三つ目の主題は、「空海の風景」を読むほどではなかった。しかし乗り掛けた船だ。空海について調べることとしたい。「空海の風景」を読めば、また別の結論になるかも知れない。
十二月十日(日)
空海と良寛の共通点は、漢文と書だ。空海は溜め池など科学にも詳しく(以上、前編で紹介された)、良寛は歌に詳しかった。これも、それぞれ別の分野で一つづつ得意なことがある。
唐土(もろこし)の文(ふみ)と筆にて二人立つ ほかに一つは優れあり だが仏への果てしない道こそ共に優れた心
反歌
世と時が求める人が現れる奈良に空海江戸に良寛
相違点は、空海は高野山を始めとして全国に末流が広がる。良寛は五合庵と社務所。その差から、秀才型と鈍才型とした。ここで秀才とは、結果が優れる人のことで、点数の高い人ではない。点数は減点法だから、今回の特集で扱ふ加点法とは異なる。
新たなことに気付いた。空海は、長安で密教を伝授された。帰国後は、帝から頼りにされた。それが、全国に末流が広がった理由ではないか。良寛は江戸時代の、良く云へば平安、悪く云へば窮屈な世の中だった。かう云ふ時は、例へ空海でも五合庵と社務所を残すのが精一杯だらう。
そのやうな思ひを持ち「空海の風景、後編」を見た。前編と同じく、山折さんの対談は見なかった。最澄と空海の決別は、空海が正しい。さう云ふ番組編成だった。これまで経典を貸さなかった空海が狭心だと思ってきたから、これは勉強になった。
時代が変化するときは、秀吉のやうに大出世する人が現れるし、空海のやうに末流が大発展する人も出る。時代が変化しないときは、さう云ふ人は現れない。それだけの違ひだったと云ふのが、今回の結論となった。
時代を超えて、空海が曹洞宗を、良寛が密教を修行したらどうなっただらうか。これはうまく行かないだらう。動の空海、静の良寛である。(終)
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