二千百七十八(和語優勢のうた)筑摩書房「古典入門」を読んで
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月三十日(木)
鈴木日出男、小島孝之、多田一臣、長島弘明「古典入門」を、図書館の開架で目に入り借りた。パソコンの検索だと、かう云ふ本は借りないから、たまに開架を覗くのはよいことだ。唯一の心配は、四人が同じ大学の教授だ。授業に使ふ本ではないのか。
まづ「はじめに」の
次に掲げる各時代の詩歌にも、それぞれの時代の固有の発想なり表現なりが端的に示されている。
(1)多摩川にさらす手作り(以下略) (万葉集・東歌)
(2)思ひつつ寝ればや人の(以下略) (古今集・小野小町)
(3)見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の(以下略) (新古今集・藤原定家)

これで見ると、新古今集が一番佳いではないか。これまで新古今集は、連続しては読んだことが無かったと思ふ。「と思ふ」で明らかなやうに、読んだかどうかさへも記憶にない。と云ふことで、新古今集を検索で三冊予約した。「古典入門」を借りた効果が、「はじめに」で既に現れた。
本文に入り、序詞の説明に
枕詞の場合と同じく、(1)語義(比喩など)によるもの、(2)語音によるもの((a)掛詞式・(b)同音繰りかえし式)の二種となる。

として三種類を例示する。このうち
(2)a わたの底沖つ白波竜田山いつか越えなむ妹(いも)があたり見む(万葉・巻一 作者不詳)
  <「わたの底沖つ白波立つ」「田山・・・」が掛詞式で、文脈が二重になる>

その一方でこの次に、掛詞の説明に
古今集時代からの表現技法である。

とある。万葉の掛詞式序詞は美しいから、掛詞とは異なると見るべきなのだらう。ここで序詞に戻ると「枕詞の場合と同じく」とあるので、一つ前の、枕詞に戻ると
古くからの習慣的な枕詞があるとともに、他方では万葉時代以後も、かかりかたの固定的でない新しい枕詞も創設された。被枕へのかかり方から分類すると、次のように、(1)語義(比喩など)によるもの、(2)語音によるもの((a)掛詞式<後掲の純粋の掛詞とは異なる>・(b)同音繰りかえし式、の二種)の二種に分類される。

枕詞のなかに、固定ではない新しいものがあるのは、小生も新しいものを自分で作るから、目新しいことではない。例へば「アララギの」の後に「左千夫」「赤彦」「茂吉」など、「あづまはや」の後に「東」など。
ここで注目するのはそのことではなく、「後掲の純粋の掛詞とは異なる」の部分だ。小生は掛詞が嫌ひなので、ほとんど使はない(無意識に使ふことがあるかも知れないので、「ほとんど」とした)。一方で、先程の掛詞式序詞「わたの底沖つ白波竜田山」は美しい表現だ。同音繰り返し式の序詞は、重複が目に付くことが欠点だった。これからは、掛詞式の序詞を使ふやうにしたい。

十二月一日(金)
「古代前期の文学」章では
口誦から記載への過程の中で、歌謡から派生した和歌は独自な達成を遂げ、やがて『万葉集』としてまとめられた。

との前書きとともに始まる。万葉集は
以下の四期に分けるのが普通である。(中略)中心となるのは、第二期と第三期である。

第一期は
舒明天皇の時代から壬申の乱(六七二)まで(以下略)

とする。額田王の「熟田津に船のりせむと月待てば(以下略)」について
月の光の呪力を身に浴びるためであったに違いない。とすれば、月の呪力のもっとも強まる満月の夜が選ばれていると見るべきかも知れない。

第二期は
壬申の乱後、平城京遷都(七一〇)にいたるまでの約四十年間(以下略)

そして
宮廷歌人が出現し、特に柿本人麻呂はその第一人者として、(中略)皇室への賛歌や皇族の死を悼む挽歌を歌いあげ(以下略)

第三期は
平城京遷都から天平五年(七三三)までの約二十年間の時期(中略)仏教・儒教・老荘思想など、大陸の思想や文化が輸入され、和歌の世界にも知的な傾向が増し、(中略)皇室歌人は減ったが、作者層と歌風は多様に分化し、万葉の盛時を築きあげた。

第四期は
天平六年(七三四)から(中略)約二十年間(中略)力強さを失って感傷や優雅さに傾き、理知や技巧の凝らされたものが多くなった。発想や表現も類型的に固定し、平安朝の歌風への推移を思わせる。長歌が衰え(以下略)

万葉時代のあと、漢詩時代を経て和歌が復活したと、不連続とする説がある。しかしここでは、連続説だ。

十二月二日(土)
古今集と新古今集の間に幾つもの勅撰集がある。このうち五首が載る。そのうちの
夕されば門田の稲葉おとずれて芦のまろやに秋風ぞ吹く

は佳作だ。と云ふことは、残りの四作は駄目だが、このうちの
風吹けば蓮の浮き葉に玉こえて涼しくなりぬひぐらしの声

は辛うじて合格。新古今集は、七首のうち既に紹介した「見わたせば花も紅葉も(以下略)」のほかに
志賀の浦や遠ざかり行く波間より凍りて出づる有明の月

が美しい。その他の歌も悪くはない。
この本は、和歌に限ったものではないので、物語、随筆など多岐に亙る。方丈記の
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。

高校の古文で習ったが、そのときから七五調だと思って来た。歌ではないから字余り字足らずがある。しかし
九五九三。七五十四六四。七七八。これを正調と比べると
七五七五。七五七五七五。七五七。
ところがこの本は
「ゆく河の(五音)流れは絶えず(七音)して」

と五七だとする。このあと七五と五七が交互に来る。
方丈記 その一つ目は七つねと五つねのふみ いそ歳を経て今にても変はることなし

反歌  其の道の人が五つね七つねと方丈記にて異なるを云ふ(終)

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