二千二十七(うた)行動日記(流しの詰まり、新型コロナワクチン予約、使ひ捨てスリッパ、季節の変はり目、山手通りと昭和鉄道高校と池袋)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月十日(土)
台所の流しが、ときどき詰まる。それを防ぐ為に、半年ほど前から風呂の残り湯を、洗面器三杯をたらいに入れて、流しに放流するやうにした。流しは二漕式なので、主漕、副漕、主漕と放流する。最初は副漕、主漕の二回だったが、副漕の管に付着した物が剥がれて主漕に廻るのではないかと、今では三回式になった。
下の子と一泊旅行に行った間に一回詰まり、薬品で溶かしたと妻が云ふ。水の漕内での減り方が、日によって少し遅いことがあるから、これはあり得る。水を主漕へ流すときに、副漕の流し口は直径10cm程度で小さいので片手で塞ぎ、主漕へ水を流して溜まった状態で、網を上下に動かした。すると副漕の手が陽圧や陰圧になる。
水の流れる速度が落ちたときにこれを行ふと、速度が戻った。そして詰まることなく、一ヶ月が経過した。一週間ほど前に、別の異変があった。たらいを持つと腰がかすかに痛い。そのため、洗面器を三杯から二杯に減らした。
台所 ながしは食事作る時 食後に皿を洗ふ時 栄養分が流れ出る そのため管が時々詰まる
反歌
管の中微生物増え剥がれると詰まり水圧増減で除去
六月十一日(日)
新型コロナのワクチン予約を行った。数週間に亙り、感染者数が微増を続けるからだ。かつてのやうに激増ではないが、今までみたいに気候の好いときに微増するなら、雨天や真夏日は激増するだらう。
この決定の前提として、感染症の専門医が第九派の始まりだとする発言がある。専門家の意見は尊重すべきだ。
これからは雨や真夏日 室内の空気滞留 体でも免疫力が落ちると予想
反歌
今回で最後になるかワクチンが新型コロナ五類へ移行
六月十四日(水)
最後の使ひ捨てスリッパを、本日で使用終了した。五月十日に使用を開始した。五回目で使ひ切った。
石油から合成されたスリッパは使ひ捨てだが 大切に一ヶ月間使用して 本日終へて焼却場へ
反歌
土地の中石油取り出し焼却かプラスチックに悪魔文明
六月十五日(木)
昨年は、季節の変はり目に体がだるくなった。今年も、今週に入り体がだるくなった。先週まで暑かった日があった。そのときは大丈夫で、そのあと涼しくなっても大丈夫だ。ところがそのあと暑くなると体が付いて行かないやうだ。「だるい」は古語にもあるが、近年は英語のdullだと思はせることがあった為(或る専門家が講評でダルになったと発言)、小生は「体が重い」を使ってきた。しかしこれだと、体重が増えたと取る人もゐることだらう。そこで「だるい」を復活させた。下手をすると三十年以上使はなかった。
波が来てそのあと波が引くやうに 暑き日寒き日交代で来ると体が暫く弱る
反歌
若き時暑さ寒さの交代を乗り越え今は途中で疲れが
六月十六日(金)
本日は、うっかり間違ひが二つあった。一つは自転車の鍵を挿したまま場所を離れ、もう一つはポイント増加日とシルバー割引日を混同した。
体内の不調によりて判断を鈍らせるあり 昔から病は気から だが逆もあり
反歌
歳を取り気は体から更にまた一つ前では体は季から
反歌
気は季から調べが悪く云ひ代へて寒暖揺らぎすると気揺らぐ
小生は、同世代の中では元気なほうだ。元気だから、ここが弱って来た、ここが間違へやすくなった、と気付く。怖いのは、気付かない人だ。社長や議員を続ける人は、周りが迷惑だ。
六月十九日(月)
本日は八回目の現場に勤務した。今までの通勤は、電車が五回、バスが二回。本日は往路がバス、復路は電車だった。調べると、帰宅時刻が電車のほうが三十分早い。
現場は山手通り沿ひで、高架が二階建てだ。上の高架は防音壁が有効だが、下の高架は防音壁の上から音が斜めに到達する。写真を見るとバルコニーがある。ドアは二重なのだらう。
仲宿で中山道と分岐する 山手通りは浦和から池袋への路線バス かつては乗った懐かしい道
反歌
池袋かつて北口バス停が浦和駅行きここに発着(終)
追記六月二十一日(水)
本日も一昨日と同じ場所に勤務した。ここは数ヶ月に一回の割で来る。今週だけ二回続いた。朝は20分前に入場するとして20分程余裕があった(つまり40分前)ので、近くの昭和鉄道高校の周りを一周した。地下鉄丸ノ内線の500型引退車輛を道路側に展示してあった。
掲示板に進路が貼ってあった。就職が82.9%、進学が17.1%。就職のうち五年平均で鉄道関係が89.5%、今春は84%。コロナ禍で今春は値が下がったが、大したものだ。工業高校卒でしかも鉄道に特化するので、採用しやすいのだらう。
尤も五年ほど前に経済雑誌で、鉄道の仕事しかやりたくない人は、鉄道会社は採用し難いさうだ。小売りや物流など、どの部門でも嫌がらない人が望まれる。これは大卒のことで、高卒は鉄道をやりたい人がよいのかな。(6.22追記。運転士、車掌、駅員は工業ではないので、昭和鉄道高のホームページを見ると、二年次で工業とサービス業に分かれることが分かった。)
仕事を開始し、各階を上下するうちに、高架が二階建ての理由が判った。五号線と中央環状線が分岐合流するため、上りと下りで二層になる。九回目の勤務で初めて気付いた理由は、先月の旅行で、眼前の高速道路を走った。
高架下層の走行音が、防音壁の上を斜めにすり抜けて、マンションの一部の階を直撃する。同じく高架下層の走行音が、頭上の上層で反射し、マンションの別の階に届く。だからマンションの廊下と階段がうるさい。下層と上層の間を完全に防音壁で塞ぐ方法がある。マンションの住民は要望を上げるとよい。静かなマンションなら、価値も上がる。
首都高は住民の為配慮を望む 中の層壁で上とを塞ぐと静か
仕事が終了の後は、熊野町から川越街道を歩き、途中で右折し劇場通りを池袋まで歩いた。
追記六月二十二日(木)
東京芸誦劇場が落成したのは平成二(1990)年十月だ。その前は、何と云ふ通りだったのだらうか。小生は平成元(1989)年から三年間、池袋のコンピュータ専門学校の教員だった。このうち最初の年は、池袋駅北口(今の西口北側)に仮校舎があった。
記憶では、東京芸術劇場が無かった。これは正しい。昔の地図を見ると、昭和五十九年には五差路から北が一つ目の大通り(路地で数へると三つ目)まで細い道があり、その先は道が無い。平成五年には五差路から川越街道まで、中央に柵のある立派な道が完成した。その間の地図は無いが、平成元年には五差路からの道は、既に柵があった。
通りの古い名は結局分からなかったが、落成がすぐなので、最初から劇場通りだった可能性は高い。
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