二千二十六(うた)「口語 短歌」で検索した書籍を三冊読んだが
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月九日(金)
口語 短歌」で検索した本を三冊読んだ。一冊目は大阪外国語大学名誉教授の肩書の男の著作である。ところが、前半は一つの話題を掘り下げるでもなく、短い題材を次々と書くに留まる。あげくは
塚本邦雄のエピゴーネンたちは、いたずらに知識をひけらかしている間に、読者層を縮めているのである。しかも、せいぜい曽良レベルの作品しかものにできないのである。

と感情的、若しくは情報量不足の批判をする。この人は欧米の学説をしょっちゅう引用するが、最後のほうで
中国の白話文学の後進性を嗤う前にもう一度、われわれの「文語」生活を反省してみるべきではないだろうか。

で、日本古来のものが嫌ひなのだと判る。読むに値しない本であった。
大学の名誉教授の説を読む 多くの話題掘り下げず 欧米の説引用が多すぎる上 日本の古来のものを嫌ふだけかな

反歌  歌にとり美しさこそ第一だ古来軽視で説明できぬ

六月十日(土)
二冊目は、短歌新聞社から出版された「口語短歌の世界」、「口語短歌の世界」編集委員会編。前に読んだ短歌新聞社の本で左千夫をひどく批判するものがあった。子規一門を批判するなら分かるが、左千夫だけを批判するその偏向に驚き、それ以降、短歌新聞社には悪い印象しか持たない。
この本には、大熊信行の
灯を消して蚊帳をくぐれば青々と月のよぞらが高窓にある

と優れた歌も紹介するが、そのあと信行は破調の歌ばかりになる。他の人も優れた歌が一つあったとしても、破調の歌をたくさん紹介する。本の最終に「口語短歌小史」があり、プロレタリア短歌運動、「人民短歌」誌とそれを改題した「新日本歌人」誌に、それぞれ20行程度だが言及する。
この本の編集委員会は、共産党系の人たちが多いか全員なのだと判る。小生は共産党に対し、米ソ冷戦終結までは米側文明にも反対する勢力として評価してきたが、昭和62年に発行されたこの本でもこの程度の選歌なのかと、失望の印象を持った。
(6.12追記)念のため、まともな歌がほかに無いか読み直すと、西村陽吉の
わが前に、まじめに語るつつましき、
若き職工を
哀しみにけり

この後、口語歌へ入るが見るべきものが無くなる、と云ふか一首しか挙げないのは編集委員の好みに合はないためか。解説で
新短歌協会の中には、(中略)定型律派と自由律派との論争があった。自由律派は(中略)口語を用語とした以上、自由律であるべきだと主張した。これに対して、西村陽吉は口語定型詩を主張して、口語が定型律に適さないと思われるのは「定音律の罪でも口語の罪でもない」それは作歌者の無力を表わすに過ぎないと反論したのである。

西村説に賛成。続いて
自由律を主張する者の作品は、超現実主義的な傾向が多く、この傾向の人々はやがて、「新短歌」(石原純)(中略)といった自分たちの結社を作って、「芸術と自由」から離れていくのである。
西村陽吉をはじめとする定型律を主張する者の作品は生活派の傾向が強かった。しかしその中でも(中略)昭和二年頃からいわゆる無産派短歌、プロレタリア短歌が盛となると、やはり「芸術と自由」から離れていくのである。

次に、太田遼一郎の
みかえれば
枯あしのなかの掘割に
冬のさざ波
消えては起る

この書籍を読み
驚きのこと二つあり その一つ共産主義はともするとリベラル又は虚無主義に堕する恐れが 二つ目は短歌新聞既に解散

反歌  冷戦が終はるの前に共産は単純唯物堕した惧れが

六月十二日(月)
馬場あき子編「韻律から短歌の本質を問う」は、馬場さんの「口語と出会った短歌律」は、小生の感覚では歌とは云へないものをたくさん並べる。そして
口語と出会った短歌は、千年の文語の律の呪縛がほどけるよろこびに魂をふるわせながら(中略)楽しさに陶酔を感じている。

と正反対の結論を出す。座談会は馬場さんなど二名の歌人と、人間国宝の能楽者。人間国宝に騙されてはいけない。予想どほり得るものは何も無かった。二回目の座談会は、歌人二名と、二音一拍四拍子の比較文学者。二音一拍四拍子は、歌作りには役立たない理論だ。この本以外でも前に似たものを読んだ記憶がある、と調べると何とこの本だった。
二回目の座談会を、前回は有意義なものとして扱ったが、今回は無益なものと感じた。二年二ヶ月の時間差が原因か。(終)

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