千八百九十三(うた) 静岡旅行記
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月七日(水)
前回に引き続き、「大人の休日倶楽部ジパング」のうちの「ジパング倶楽部」機能を使って静岡へ旅行した。新幹線ひかり号で静岡駅到着の後に、駿府城公園へ行った。次いで浅間神社に行ったが、道に迷ったのが幸ひして参道商店街を歩けた。浅間神社は三つの神社が合はさって一つの宗教法人を形成したもので、立派な社殿が森の中に点在する。それより貴重なのは、静岡市北部の山地がせり出し、生態の要地だ。
静岡の社は大きな森の下先は赤石南アルプス
赤石の山並み続きこの森は生物回廊野生の聖地
神社を出たあと、味噌屋兼酒屋で「純米酒 はんぶん麹」四合瓶を五百円で買った。20年3月製造が難点だ。駿府城公園で一合半ほど飲んだ。
そのあと、静岡鉄道の新静岡駅を探すのに苦労した。地元の人に聞いたらNTTを左に曲がると、本人もあやふやに云ふ。NTTの交差点の地図で見ると、やはり違ってゐた。駅の商業施設に入り、バスターミナルを見たあと、鉄道で新清水駅まで行った。海岸側の遊歩道をマリンパークまで歩いた。ここは国鉄清水港線の跡地だ。
清水港駅跡のテルハクレーンが登録文化財として保存されてゐる。
すぐ後方に商業施設があり、付属の遊園地の観覧車に乗った。六百円で清水港を一覧した。
左下の写真は対岸の三保で、青色煙突の辺りにかつて和風の建物があり、北原白秋は次の歌を詠んだ。
風早の三保の浦廻 貝島のこの高殿は 天そそる不二をふりさけ 清見潟みち干の潮に 朝日さし夕日照り添ふ この殿に詣でて見れば あなかしこ小松むら生ひ 辺につ寄る玉藻いろくづ たまたまは棹さす小舟 海苔粗朶の間に隠らふ この殿や国の鎮めと 御仏の法の護りと言よさし築かしし殿 星月夜夜空の隈も 御庇のいや高々に 鐸の音のいやさやさやに いなのめの光近しと 横雲のさわたる雲を ほのぼのと聳え鎮もる 閑けくも畏き相 畏くも安けき此の土 この殿の 高き薨のあやにすがしも
(反歌)
この殿はうべもかしこししろたへの不二の高嶺をゆたかにぞ見る
大船の心たのめて三保が崎君が御殿に参ゐ出来にけり
天そそる不二をまともに我が見るとこの高殿に参ゐのぼり見る
右の写真は、雲の上に富士山が見える。
地上に戻ったあと館内に入り、寿司を食べようとしたところ、団体客がぞろぞろと際限なく入るのでやめた。清水駅までの無料シャトルバスに乗った。乗り場の裏はバス駐車場で、観光バスが数台停車中だった。清水駅に到着し、階段はバス停からかなり海岸側にある。途中はかつて貨物の線路群があった場所で、寂しさ九割で階段を登った。
清水駅かつて多数の線路あり 貨車編成が停車中 横並びにてその中に 乗降用の小さなホーム
(反歌)
清水駅清水港線旅客車は廃止されてもかつてホームが
駅の反対側に降りて、食堂又は弁当を売る店を探したが、見つからなかった。静岡駅まで戻った後、改札内の売店でサンドヰッチと野菜ジュース紙パックを買ひ新幹線ホームの椅子で、前に買った日本酒を半合とともに食べた。昼前に酒を飲みたくさん歩いて疲れたためか、お腹が空かなかった。
静岡市に観光で来たのは、1989年以来だ。あのときは、旅行案内の書籍が活発で、日本平、次郎長の生家などを見た。今回は観光地とは無縁に、お城、神社、清水港へ行った。
仕事では、静岡市に1994年に来た。清水の三保へは、人事採用センターに所属してゐたときに東海大学海洋学部へ寄った。ここは毎年入社者がゐて、毎年挨拶に行くことが恒例だった。
家に戻った後で、東海大学に行った帰りにも駅の階段が離れてゐたと感じたことを思ひ出した。あのとき既に線路は無かったのだ。
十二月八日(木)
新幹線から富士山が見えない。噂でも云はれるし、小生も感じる。新幹線が品川から大崎を通るあたりで、右前方に白く高い山が遠方に見えた。そのときは「富士山が東京からはよく見える」と思った。
地元では見えない富士が大崎を新幹線が過ぎると見える
新横浜に停車し、発車して暫くすると、富士山の形が左に膨らんできた。大沢崩れかと思ったが、それだと大き過ぎる。やがて小田原に近づくと、真白な山は真横に見える。どうやら違ふ山に雪が積もったらしい。
熱海を過ぎると、本物の富士山が見えてきた。先ほどの山は、全体がふわっとした雪だ。本物の富士山は、雪が谷には見えず、険しい雪だ。そして富士山が新幹線から見えない理由が分かった。前方の山並みから上部を少しだけ出す。白くなければ富士山とは気づかない。
富士の峯(ね)はやはり真白がよく似合ふ新幹線の車内から見る
富士の峯(ね)は古今集では白妙が似合ふと思ふ当時の人は
帰りの新幹線では、小田原の真横にあった白妙の山は、雪が解け完全に普通の色に戻ってゐた。
十二月九日(金)
「純米酒 はんぶん麹」を駿府城公園のベンチで最初飲んだ時は、こうじの味がして美味しい酒だと感じた。暫くして沈殿物があるため振ってから飲んだ。麹だらうと気にしなかった。老舗の味噌屋兼酒屋で買ったためでもある。
帰宅後、夕食のときに残りの二合を飲んだ。今までは茶色の瓶だったので気付かなかったが、茶色の酒だ。ここでも老舗の味噌屋兼酒屋が活きて、気にしなかった。
昨日、インターネットで調べると四合瓶で千百円だ。二年半前に製造を考へると、五百円は適正価格かな。本日まで下痢だとかを起こさなくてよかった。何だやはり心配したのか。心配と云ふほどではなく、少し気にしただけだ。
因みに小生は辛口が好きだから、この酒は甘すぎる。しかし麹の味で、不味くはなかった。まあ適正価格だ。
はんぶんの価格で買った純米酒甘さ半分麹半分
鉄道の車内で酒を飲むことを、飲み鉄と云ふらしい。今までは車内でも飲んだが、今回は公園と新幹線ホームの椅子だった。旅行中に飲むから、飲み旅かな。
草枕旅で飲む酒飲み旅か優雅に呼ぶと飲み草枕(終)
路面電車、客車、その周辺、十一へ
路面電車、客車、その周辺、十三へ
メニューへ戻る
うた(四百三十二)へ
うた(四百三十四)へ