千九百二十二(新和語のうた)(モリカケ柳河桜藪黒トリー敗カルト債、二百四十) 国鉄改革裏面史
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
西暦元日後一月十四日(土)(2023.1.14)
二週間前、ゲンダイのホームページに
国鉄改革裏面史「俺たちに協力せんと、どうなるかわからんぞ」…JR東海・葛西敬之が裏切って捨てた、革マル・松崎明からの陰湿な「逆襲」の中身

が載った。前文は
森功著『国商 最後のフィクサー葛西敬之』では、「改革三人組」と呼ばれた若き日の葛西敬之も描かれる。葛西は国鉄分割民営化の際に、(中略)革マル派労組・動労トップの松崎明と手を組んだ。
しかし、分割民営化が果たされJR東海が発足すると、葛西は「反松崎」「松崎切り」を鮮明にする。それに激怒した松崎の執拗で陰湿な攻撃が始まった。昭和の終わりに果たされた国鉄改革の、まさに裏面史である。

本文に入り
松崎らに対する旧鉄労の反発はJR総連の発足直後から始まった。(中略)まず、JR東日本常務の松田に旧鉄労がJR総連から脱退する意向を告げ、さらにJR西日本副社長の井手に会った。87年6月のことだ。(中略)元JR東海幹部が述懐する。
「これらの動きにいち早く呼応し、松崎の反対に回ったのが、葛西さんでした。(以下略)」

それに対し
「(前略)JR総連の委員長が、いきなり東海の本社に乗り込んできたこともありました。『葛西のスキャンダル情報がある。俺たちに協力しないと、どうなるかわからんぞ』と脅しをかけてくるわけです。実際にそれからしばらくし、ゴルフ場の葛西スキャンダルがばら撒かれました」

ももといそとせの月日に鉄の道最も黒い組合潰し


一月十五日(日)
〈この資料はJR東海の社員である小沢三郎氏が同社副社長の葛西氏と直接電話で話したものです〉
そう書かれた文書が、日本銀行からJR東海の初代会長として天下った三宅重光やプロパーの須田寛初代社長をはじめ、全国のJR各社首脳のところへファックスや速達郵便で届いた。文書の差出人は「JR東海社員有志」となっている。(中略)むろん「小沢三郎」は架空の人物である。が、そこに書かれている事実は存在したようだ。

その内容とは
文書がばら撒かれる11日前の8月1日、葛西は東京・丸の内のパレスホテルにいた。午後6時過ぎ、慶応大学医学部の教授夫人を連れてホテルのフロントでチェックインし、そのまま部屋に向かった。事前にその情報をキャッチし(中略)頃合いを見計らい、8時過ぎに外から部屋に電話がかかった。
通話時間は40分ほどだ。(中略)葛西スキャンダルはJR各社だけでなく、国鉄清算事業団や運輸省(現国土交通省)幹部、新聞社などにもばら撒かれた。

安倍は、こんなスキャンダルを起こした男と仲良くした。JR東海は、こんな男をその後、社長、会長にした。

一月十六日(月)
国鉄と動労が手を組んだときに、これで日本は駄目になる、と思った。世間一般に、反信用行為を許してはならない。政府がそれをやれば、国内から信用行為がなくなる。マスコミはこぞって国鉄と動労を批判した。革新系だった埼玉県知事が、JR東の本社を大宮に、と発言した時は、皆に叩かれた。だが松崎はさかんに、経済紙誌や全民労協(その後、官公労系と合併し連合になった)系紙誌に登場したことが印象に残った。これでは余計に、日本は駄目になってしまふ。事実、その後の日本は経済団体と大企業労働組合で駄目になった。
日本が駄目になった一番の原因は、プラザ合意だ。二番の原因は、このとき政府が動労と手を組んだことだ。そして社長、会長とJR東海で絶対権力を握った葛西は、今度は安倍と組んだ。

一月十七日(火)
JR東海の記者会見でもその話が出る。そしたら彼は『私のプライベートな話ですから、こういう場で話すべきことではありません』と肯定も否定もしないんです。
しかし
そのうちJR東海社内に盗聴器が仕掛けられていることがわかり、(中略)ついに『俺、もう(会社を)辞めるわ』と弱音を吐いてしまった。あろうことか、そう話している会話まで盗聴され、『葛西がついに退任を決意』なんて調子で、それが流されたことまでありました。

踏みとどまったことについて
葛西さんにとって大きかったのは、捜査当局の存在ではないでしょうか。(中略)検察や警察の友人がいて、(中略)松崎や革マルを相手にするときはそういうガードマンが必要でしょう。

検察や警察は公正に活動しなくてはいけないから、これだけでも問題だが
葛西はのちに、警察組織をことのほか重視するようになる。それはこのときの成功体験があったからであろう。

後に安倍が黒川を検事総長にしようとして、芸能界を二分する騒ぎになった。「モリカケ柳河桜藪黒トリー敗カルト債」のうちの「黒」だが、その伏線はここにあった。

一月十八日(水)
JR東日本では、初代社長の住田正二や2代目社長の松田昌士たちが旧動労の松崎と手を切れなかったとされている。その理由について、先の東海関係者に尋ねてみた。
「もとはといえば松田さんは労務の経験もあり、(中略)『葛西は動労を甘やかしている。けしからん』と言い、批判の急先鋒になっていった。
ところが、東日本に行って労政を担当するようになると、方向転換して松崎と手を組んだ。その理由はいまだにハッキリしません」

その一方で
JR東日本では会社の発足に伴い、警察庁の(中略)柴田善憲を監査役として迎えた。(中略)警視総監の目もあったはずだ。(中略)女性スキャンダルにまみれて出世が絶たれた。近畿管区警察局長を最後に87年4月、JR東日本に天下る。

そして
「JRの発足当時は、革マル、中核の全盛期でもあり、警視庁では公安部だけでなく、刑事部もいくつもの事件で内偵捜査をしてきました。(以下略)」
「その半面、事件のネタを組合からもらうため、彼らにも接近し仲よくなった。捜査員たちの多くが次第に革マルに取り込まれていったともいえるでしょうね。その大元締が柴田さんだったんじゃないかな」
(中略)
「その柴田さんが新たにJR東日本の顧問として招聘したのが、警察庁の後輩である杉田さんでした。葛西さんはそこをよく見ていたんだね」
「杉田さん」とはのちに第二次安倍晋三政権で官房副長官となる杉田和博のことである。

これでは警察官房だ。そして警察過信が、銃撃に繋がった。

一月十九日(木)
警備は、何事も無くて普通、何かあったら失格。つまり減点法の世界なのに、警察天下りを官房副長官にしたことは、加点法の人事だ。次の三つが考へられる。
(1)国民への取り締まり乱発
(2)子分やお友だちの不祥事もみ消し
(3)秘密情報を入手し、反対派を脅迫または取り崩し
情報公開を手土産に、他派閥へ移動するとよい。安倍派は泥船だ。

一月二十日(金)
JR貨物の鉄道部門が黒字になる記事を最近読んだ。増収策を行なったからだ。その逆をやったのが、国鉄末期から民営分割化の時期だった。増収をせず、赤字部門を切り捨てて均衡を図った。
まづ貨車の分解組成を廃止した。それまで地域線を含めて旅客と貨物が半々だったが、貨物が激減した。次に大都市や東海道新幹線の黒字で、地方の赤字を埋めることにした。北海道、九州、四国は埋められないので、基金の利息で補填することにした。
かう云ふやり方はぬるま湯に浸かった状態だから、状況が変はっても対策を立てないし、状況が大きく変動すると対処できなくなる。ここ二十五年の車社会と過疎化に対策を立てず、コロナ禍では膨大な赤字になった。
つまりJR各社は、貨物を除いて純民間ではなかった。それなのに安倍は葛西と組んだ。(終)

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