千八百八十(うた) 1.編成単位と一両単位の検査、2.機関区と客貨車区と運転区所
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月十七日(木)
帰宅時に、車窓から浦和電車区の三両切り離し編成を見た。十両編成を分解するのは、今年七月以来だ。四ヶ月も空いたので、台車検査の復活ではなく、臨時修理のやうだ。


とは云へ、今まで無かったのに今年二回目なので、コロナ禍でJR東は経費節減が必要になり遊休施設の有効利用を始めたのかも知れない。
鉄道車両は、交番検査が六十日に一回、要部検査または交番検査(指定取換)が一年半から二年に一回、全般検査が三年から四年に一回だった。機関車、気動車、電車は要部検査と要部検査の間に台車検査もあった。(インターネットで調べると、今は要部検査が無くなって、全般検査の間に台車検査が入るらしい)
客車や貨車は、一両単位で交番検査を行った。客貨車区、客車区、貨車区は駅(または操車場)に併設されるのは、入れ換へのためだ。かつて20系寝台列車は固定編成と云はれたが、20系も交番検査は一両単位だった。
電車は、編成ごと交番検査を行ふ。入れ換へを省けるが予備編成が必要で、その初期費用と維持費を考へると、どちらがよいかは一概に云へない。
電車では客車や貨車と異なりて編成単位で検査を行ふ

昭和三十七年に新設された浦和電車区や、昭和四十七年に新設された幕張電車区は、車窓から見て広いので編成単位だと特に感じる。浦和電車区は、交番検査庫は十両が入るが、隣の台車検査庫はそれより短い。だから国鉄の末期から、台車検査はここではやらなくなった。
ところが今年に入って、編成を分解した車両が現れるのは二回目だ。

十一月十九日(土)
上記以外で、八月に車両移動機が台車検査庫の前にあるのを見たことを忘れてゐた。五ヶ月で三回。小生は通勤の時に車窓から見るだけなので、あと二回見逃したとして月に一回。浦和電車区には八十二編成が配置されるので、これだと台車検査ではない。見逃しが更に多く月二回だとすると、台車検査の計算が合ふ。

十一月二十日(日)
今回インターネットを調べて、浦和電車区は車両センターと運転区に分割されたことを知った。かつて、動力車を扱ふ区(機関区、電車区、気動車区)と、客貨車を扱ふ区(客貨車区、客車区、貨車区)があり、動力車と客貨車を合併させたものが運転区だった。運転区を大きくしたものが運転所で、所長の下に科長がゐて、その下に助役がゐた。
機関車と電車または気動車を扱ふときは、機関区のままだった。唯一の例外が国府津機関区で電車が配置され数年後に、客貨車区を統合することなく国府津運転所になった。今思へば、茅ヶ崎客貨車区の一部機能を併合したのではないかと思ふ。
それなのに、車両を配置することなく、客車や貨車を扱ふことなく、運転区とはずいぶん変はった。
例外と云へば、尾久客車区と盛岡客車区は、気動車が配置された。尾久は特急用車両の為だと理由が分かる。かつて尾久客車区の下に、特急車部と特急○○部(○○は技術だったか、検修だったか)があった。盛岡は、駅から少し離れた位置に客車区が移転したことが理由だらう。
機関区と客貨車区及び統合の運転区所ですべて動かす
(終)

追記十一月二十三日(水)
高知客貨車区は、気動車の検修を高知機関区と共管区として行ってゐたことが分かった。以下、「車両と電気」誌1981年12月号によると、四国には客貨車区が四つあるが、気動車はここだけだった。客貨車区は、構内運転係が三名所属した。
区長助役(事)助役(技)事務掛車両検査長車両検査係車両検修係構内計画係構内運転係構内整備係臨雇
本区22
派出所
気動車とディーゼル機関車の検修は、隣の高知機関区で行った。保守分野は、充電調整器、蓄電池、戸締装置と計器灯、冷房装置等とある。
南国の土佐は高知の客貨車区気動車機関車二元で管理
派出所は斗賀野で、ホキ5200形式の仕業検査と、セメント積タンク車の臨時検査。石灰石の採掘場から地元大阪セメントKKとの間に、土佐石灰専用線があり、ホキ18両重連運転で親や八往復。四国の貨物輸送の稼ぎ頭の一つ。
PCFCDCDL
配置42両私有31両30両14両
仕業検査10両18両17両4.7両
交番検査0.7両6両0.5両0.4両
臨時検査0.16両7両


追記十一月二十四日(木)
「車輛工学」誌1959年1月号によると、茅ヶ崎客貨車区の受け持ち範囲は、東海道線大船~函南、相模線茅ヶ崎~橋本、御殿場線国府津~下曽我、伊東線熱海~伊東なので、国府津運転所が一部(東海道線西側、御殿場線、伊東線)を引き継いだ可能性が高い。

メニューへ戻る うた(四百十九)へ うた(四百二十一)へ