千八百五十七(うた)キハ28系の消滅
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十月二十六日(水)
千葉県のいすみ鉄道を走るキハ28が、来月で仕業(しぎょう)を終了する。キハ28(58)系で最後の一台ださうだ。キハ28はエンジン一台で平地用、キハ58はエンジン二台で勾配用だったが、混結が可能だ。と云ふよりは、国鉄時代の気動車は特急用を除いて、すべての形式が混結可能だった(その後キハ66系が出現し、これは混結できないが併結可能だったと思ふ。その後に出たキハ45は知らないが、たぶん混結可能)。
八高線が全線未電化だった昭和四十九年に、高麗川から八王子まで通勤型のキハ10系しか連結しないはずなのに、キハ28が一両連結された列車を見たことがある。
私がキハ28、58に愛着を持つのは、毎年夏に家族で松本に行くときに乗車するのがキハ58だった。尤も、四人向かひ合はせの席が二つ縦に並び、そのあと煙突用にボックス席どほしが20cmくらい離れる光景に記憶があり、これもキハ58だったと長年思ってきたが、数年前にこれはキハ55だったと判った。或いはキハ58とキハ55の混結か。
肌色に窓の周りが赤い色 特急に似て気動車の急行車両は少し異なる

(反歌) 気動車は普通と急行塗分けのほかに赤色少し異なる

十月二十七日(木)
中央線は未電化だから、すべての準急、急行が気動車だったが、東北本線、高崎線は僅かな列車しかなかった。私の記憶にあるのは「いいで」「鳥海」「つくばね」だけだ。「つくばね」は常磐線だが、上野から尾久への回送で見た。あと、昔は道灌山の東側(今は西日暮里駅ができた)で線路のすぐ先を田端に抜ける道から、常磐線の車両の上側三分の一が見えた。
私の歌に「筑波嶺」が出て来るときは、万葉集の影響ではない。小学生の時に見た急行「つくばね」である。
筑波嶺は万葉集に出て来るも我が源は気動車急行


十月二十九日(土)
気動車のオルゴールは「アルプスの牧場」で、小学校の放送設備と同じ曲だった。小学校は職員室からも放送できるのだらう。職員室からはオルゴールが入らず、オルゴールの入る放送は三ヶ月に一回程度だった。だから「アルプスの牧場」が最初に流れてから放送が始まると、旅行みたいでうれしかった。
高校生のときに、松本から新宿まで気動車急行に乗ったことがある。電化はされてゐたが、他の気動車急行との兼ね合ひからか、一日に二往復くらいあった。乗ったのはキハ65で、冷房用にキハ58の出力を増大させたものだった。松本駅を出ると大きく左右に揺れて(ローリング)空気ばね搭載を体感した。たまたま固有周期と合ったのだらう。あと速度が上がって、直結から変速に切り替へのときにエンジン音が一旦上がって下がった(1が低速、5が高速で3335432111)。
後に自動車教習所でクラッチを早く踏んでこの音がしたので、なるほどあのときの音かと納得した。この翌年辺りに残ってゐた気動車急行は、電車化された。
アルプスの牧場の曲を急行と小学校で聴いた思ひ出

思ひ出と云へば、修学旅行用のキハ28(58)を上野近辺で二回見たことがある。東京から関西が「ひので」で電車、東北から東京は「おもいで号」で気動車だった。塗色がクリーム色ではなく、黄色だった。(終)

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