百八十五、新聞の再販制度を廃止しろ
自民党国家戦略本部は売国奴だ、を7月22日に改称
その一(第一分科会から第四分科会まで)
平成二十三年
七月二十日(火)「売国奴」
自民党国家戦略本部が、集団自衛権の行使を認めることと、消費税を十%にすることを発表した(と各新聞が報道した)。
日本から敗戦時の占領軍が一旦退出し、しばらく沈静期間を置いた後に軍事同盟を結んだのであれば、議論の余地もあろう。敗戦時の占領軍との集団自衛権を認めたら大変なことになる。自民党国家戦略本部といふのはとんでもない売国奴である。
七月二十一日(水)「攻撃軍と自衛隊の組み合わせは集団自衛権にならない」
世界の軍事組織は(1)外国攻撃軍、(2)攻撃もできる防衛軍、(3)防衛軍、(4)自衛隊の四つに分類できる。このうちの(4)は警察予備隊から発足した軍事組織であり軍隊ではない。このことは日本が世界に誇つてよい。
自衛隊と軍隊をどう集団させるのか。しかもアメリカは世界最悪の外国攻撃軍である。イラクに対し存在しない生物兵器で言ひ掛かりをつけ開戦した。まるで暴力団並みである。
戦前の帝国主義とは製品市場の確保であつた。翻つて現代に目を向けるとアメリカはさかんにグローバルを叫ぶ。先住民から奪つた広大な領土を武器に移民を受け入れ新製品を次々に開発し外国に売り込む。アメリカ帝国主義は今でも無傷で残つてゐる。そんな軍隊と集団自衛権を結んではならない。
七月二十二日(金)「新聞の再販制度は廃止しよう」
自民党国家戦略本部の報告書を読んでみた。新聞が報道したように集団的自衛権と消費税十%だけが書いてあるわけではない。なかなかよいことも書いてある。
それにしても新聞の偏向報道はいったい何だろうか。新聞の再販制度は廃止する時期なのであろう。拝米国売り新聞と化した読売、アメリカCIAの手先みたいな男を主筆にした朝日。小型朝日新聞と化した毎日、東京。再販制度が新聞を駄目にした。
七月二十八日(木)「第一分科会と第三分科会」
報告書は六つの分科会で構成されてゐる。評価できるのは第一分科会と第三分科会である。残りの四つは問題外で売国奴のようなことが書かれてゐる。
まづ第一分科会の冒頭で「我々は「人間」が「自然」を克服するという二項対立的な西洋文明的価値観とは異なり、古来より自然環境と人間社会の調和を図ることで文化や文明を発展させてきた。これは欧米の市場原理主義的な思想を脱皮し、人と自然との相互依存関係を重視し、両者の共生を図ろうとするものであり(以下略)」とある。
ここに書かれたとおりの政治を自民党がしてくれるなら私は自民党員になつてもよいくらいである。この文章が先頭に書かれたため「自民党国家戦略本部は売国奴だ」を「新聞の再販制度を廃止しろ」に変へたのだつた。
七月二十九日(金)「自民党の主敵は経団連と売国拝米勢力だ」
四角い枠で囲つたなかに四つの項目が並んでゐる。一番目は「生涯現役社会」である。生涯現役の個人事業社会を破壊したのが戦後の大企業である。自民党はまづ大企業と闘ふべきだ。
二番目の「個人が輝く文化社会」には「日本固有の文化や伝統を重んじ」とある。ここは少し意見が異なる。文化や伝統には地域のものもあるし日本のものも、アジアの漢字文化圏や仏教文化圏のものもある。日本だけに限るとデジタル思考、ひいては国粋主義に繋がる。ここは単に「文化や伝統を重んじ」としたほうがよい。
さて、文化や伝統を破壊して経済優先で来たのが経団連である。三番目の「温もりのある地域社会」を「冷たい新自由主義社会」にしてきたのが経団連である。
四番目の「共存共栄を目指す責任ある国際社会」では「アジア及び世界全体の利益のために」とある。これを大手マスコミがさかんに「アメリカ及び新自由主義のために」にしようとしてきた。日本も共存共栄を目指すなら貿易赤字削減のために労働時間の短縮や企業別組合の禁止に取り組まなくてはいけないのに放置してきた。
といふことで四項目を実現するために自民党は経団連と売国拝米勢力を主敵とすべきだ。
七月三十一日(日)「労働政策の問題点」
「正規と非正規が分断された労働市場」とも書かれてゐる。書いたからには責任を持つて派遣や偽装請負を禁止すべきだ。
「グローバル化の下では、国を開き、世界との戦略的な経済連携が不可欠である」とあるがグローバルはアメリカが累積債務の解消を狙つて仕掛けたものだ。EUはもともと統合されてゐるからグローバルとは無関係である。このようなものにだまされてはいけない。
八月二日(火)「第三分科会」
第三分科会の前文のうち「我々は、今一度、地域に立ち戻るべきなのだ」までは同感である。地域を破壊したのは急激な工業化とプラザ合意以降の第三次産業化である。今の日本は関税は少しづつ上げる必要がある。敗戦直後のように物資が極度に不足したときは外貨を稼ぐべきだ。しかし外貨が十分あるのに抑止せず更に外貨を稼ぎプラザ合意といふ国内の個人事業と中小企業にとつて絶対に合意できないことに合意したのは自民党の悪政の結果である。
地域に立ち戻るために高速道路と新幹線はいらない。地域に立ち戻るべきだと言つたからには、関税の漸増、高速道と新幹線の漸減を実施しなくてはいけない。自民党が嘘つき政治家の集まりかどうかが試されてゐる。政治家に嘘つきはいけない。それでは菅直人である。
八月三日(水)「地域の絆」
第三分科会の主張を一言でまとめれば「地域の絆」である。それを最も破壊して来たのが経団連である。
「地域の絆」のためには、昨日も書いたように関税の漸増、高速道と新幹線の漸減は必要である。農林水産業こそ地域の礎である。これらを捨てたほうがよいと勘違ひしたのは石油消費と引き換へである。
なを高速道と新幹線の漸減はしなくても航空機を激減させその乗客を振り替へればよい。関税は上げなくても石油消費を止めれば輸出入は激減する。大航海時代以降の世界史は、実は福島原発の事故以来の異常状態を拡大したようなものだつた。
八月四日(木)「第二の与謝野」
第一と第三を除いた残りの四つの分科会はひどい内容だ。自民党の過去の悪政の羅列である。各分科会の構成員の名前を公開すべきだ。
まづ第二分科会の「行き過ぎた労働政策や環境政策」を取り上げよう。日本では大企業の労組組織率が高く中小企業は異常に低い。このようななかで労働政策を緩和したら大変なことになる。大企業は労働条件が下がらない。中小企業は大幅に下がる。
なお、大企業が労働者に高給を払つてもそれはまつたく問題ない。株主が気にすればよい話だ。問題なのは政治屋といふ奇妙な連中は大企業とその雇用者しか眼中にない。それでは管直人や与謝野と同じである。そして国内の大手三流新聞社も大企業の目線で記事を書く。そこが問題である。
八月五日(金)「第四分科会は小泉元首相がぶつ壊した自民党そのもの」
第四分科会の「コンクリートから人へ」は理念として既に破綻してゐるは、理念として既に破綻してゐる。地方を見ればわかる。都市も農村もほとんど使われない立派な施設であふれてゐる。例へば富山だつたか糸魚川だつたか日本海の海岸より十メートルくらい上がつたところに児童公園があり日本海が見渡せる施設がある。地元の人はそんなものは利用しない。観光客も行かない。私は散歩してたまたま見つけた。翌朝行つてみるとやはり誰もゐなかつた。
同じような例は多数ある。例へば十年くらい前に茨城県の農村にやたらと立派な農村集会施設があつた。
それなのに「コンクリートから人へ」は破綻してゐるとは自民党支持組織の建設業の主張か。それにしても管直人はなぜこれらを批判しないのか。自民党と連立しようなどと卑しい考へを持つからだ。
余談だが糸魚川は海で養殖をしてゐた。高校生が来たので何を養殖してゐるのか質問すると「わかりません」といふ。文部科学省はいつたい何をやつてゐるのか。
八月六日(土)「海外からのビジネスマンは誘致する必要はない」
同じく第四分科会の世界の企業や人材に来てもらうため、海外からのビジネスマン、観光客の誘致に繋がる魅力的な都市・交通インフラを整備する視点も不可欠であるもよくない。
観光客の誘致はよいがビジネスマンの誘致は必要はない。事業の機会があるとわかれば来るなと言つても来る。それがビジネスである。
人材といふが、監督に任命した翌年に優勝しただとか、社長に任命した途端に債務が消へるような人は少ない。人材ではなく普通の雇用者として採用すればよい。
人材は日本語が下手でも通訳を付ければよい。雇用者は日本語を条件にすべきだ。海外に日本語が堪能な人は多いが活用されてゐない。日本語のできる外国人の数は国益に比例する。
日本語を普及させるには、文字を撮つただけで意味と発音を示す電子機器を開発すべきだ。漢字は中国人、韓国人、ベトナム人を除いてできなくてよい。日本語試験も電子機器持ち込み可にすべきだ。ベトナム人を漢字圏に含めたのは現状より歴史を重視したためで、実際は個々の在日ベトナム人の希望に任せるべきだ。
八月七日(日)「建設国債」
もうひとつデフレ期間中は、建設国債を発行して真に必要な公共事業を進めとある。真に必要な事業などない。無駄な建造物ばかりだ。これ以上国債を増やしてどうするのか。
今は震災復興と震災対策で建設業は需要が見込まれる。国債の発行ではなく全国の建設業を一時的に震災復興と震災対策に振り分け、これらが終了した後の業種転換などの対策まで考へるべきだ。
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