千六百六十五(歌) 「定本 良寛全集」第二巻歌集を再度読む
辛丑(2021)
十二月二十五日(土)
「定本 良寛全集」第二巻歌集は優れた書物なので、返却を二週間延長し、再度読み直した。「はちすの露 唱和篇」は二十五首のうち、技巧が七首、表現が一首だった。それ以降、歌を読むときは、どこが美しいのだらうと注意するやうになった。
「布留散東」の先頭であり、この書籍の先頭でもある
ふるさとへ 行く人あらば 言づてむ けふ近江路を 我越えにきと

これだけだと、どこが美しいか判らない。解説の
「古里にゆく人あらば言つてむ今日うぐひすの初音聞きつと」(『新古今和歌集』巻八)。「たよりあらばいかで宮こへ告げやらむ今日白河の関は越えぬと」(『拾遺和歌集』巻六)

を読むと判る。本歌取りの美しさだった。「定本 良寛全集」第二巻歌集は、類似する歌を挙げてあるので、この歌以降、本歌取りの美しさは多数見られる。
四つ目の
津の国の 高野の奥の 古寺に 杉のしづくを 聞きあかしつつ

は高野が、大阪府豊能町、和歌山県高野町など、諸説ある。本当のことは誰にも判らないが、「津の国の」が「なには」の枕詞であることを考へると、大阪府豊能町の可能性が高い。良寛は、枕詞だけで掛かる言葉を省いた歌を幾つか残した。この場合は掛かる言葉を補ふと、意味が取れる。
十二番目の
あしびきの 国上の山に いへ居して い行き帰らひ 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も豊けし 春べには 花咲きををり 秋されば もみぢを手折り ひさかたの 月にかざして あらたまの 年の十年(ととせ)は 過ぎにけらしも

この長うたは、表現が美しい。私が考へる歌の美しさは、(1)字数が合ふ美しさ、(2)表現の美しさ、(3)内容の美しさ、の三つだ。この長うたは、三つがそろふ。
十八番目の
この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし

この歌の前後と合はせて、三つ類似する。子どもらと遊ぶ良寛が現代人気の第一理由、清貧が第二理由か。 「布留散東」は、良寛が選歌しただけあって、美しい歌がそろふ。
良寛は 僧で漢詩と 書を好み 大和歌にも 造詣深し


十二月二十六日(日)
「久賀美」の先頭は、「定本 良寛全集」第二巻歌集の六十二番目で
くがみのうた
あしびきの 国上の山を たそがれに わが越えくれば ふもとには もみぢ散りつつ 高根には 鹿ぞ鳴くなる 鹿のごと 音(ね)には泣かねど もみぢ葉の 散りゆく見れば 心悲しも

もみぢが散れば、誰もが心悲しくなる。だからと云って、鹿のやうに声を出しては鳴かないが(口語訳)、は尋常ではない。
私が労働運動をしてゐたときに、専従で六十歳を過ぎた辺りでうつ病になる人が続出した。普通の会社員と異なり、零細労組の専従は委託だから厚生年金ではなく国民年金だった。しかもかつては総評、全国一般、東京地本と階層構造になってゐたのに、総評解散後は上部団体が任意組織に近かった。
良寛は僧だが、寺がなく、宗派組織に所属しないから、うつ病になったのだらう。良寛を責めることはできない。これほど長生きするとは思はなかっただらう。初めての経験だった。
六十五番目の
あしびきの くがみの山の 冬ごもり 日に日に雪の (中略) 門鎖して 飛騨の工(たくみ)が うつ縄の ただ一筋の 石清水 (以下略)

「飛騨の工が うつ縄の」は序詞で、「一筋」に掛かる。
良寛は 枕詞を 多用する 少ないながら 序詞(じょことば)もある


十二月二十七日(月)
阿部家横巻を読んで、書が主、歌が従で書かれたことを強く感じた。しかも求めに応じて書いたのだから、この歌は出来が悪いなどと、批判してはいけない。そんな中で
この宮の 宮のみ坂ゆ 見渡せば みゆき降りけり 厳樫が上に

は注目すべき歌だ。「み」が続いて美しい。しかし私なんかは「このの」と「のみ坂ゆ」にある二つの宮は、同じものを二つ重ねたところが気にかかる。「み」が一つ余計に続くから、更に美しくなることは事実だが。良寛と私で、美意識の差が現れたかな、と思ってしまふ。
しかしこの歌と連記で次の歌は
天神の 神のみ坂ゆ 見渡せば み雪降りけり 厳樫が上に

この歌は、神が重なる。だから「み」は二つ減ってしまふ。同じ語を繰り返すことは、良寛の美意識だと判った。
良寛が 言葉を二つ 繰り返し そこには美あり 美しさあり 

私も「美」を重ねてみた。一つは音読み、もう一つは訓読みだが。

十二月二十八日(火)
「はちすの露 本篇」では
せどう歌
岩室の 田中に立てる 一つ松の木 時雨の雨に 濡れつつ立てり 人ならば 笠貨さましを 蓑貨さましを 一つ松あはれ

解説は
貞心尼は「旋頭歌」としたが、この歌は長歌である。

私は、貞心尼の「旋頭歌」説に賛成。この歌は、五七七/七七//五七七/八の歌で、五七七の後ろに、七七または八が付属する。拡張の旋頭歌だ。
旋頭歌は 五七が一つ 勢ひがある なが歌は 五七が並び 勢ひがある

僧の身は 万事(ばむじ)はいらず 常不軽 菩薩の行ぞ 殊勝なりける

前にも書いたが、この歌は良寛の作ではないと思ふ。貞心尼に、良寛の作だと歌集に載せられると、反論はできないのだが。良寛なら
僧の身は 菩薩の行ぞ 常不軽 殊勝なりける 万事はいらず

と作るやうな気がする。
淡雪の 中に立てたる 三千大千世界(みちおほち) またその中に 泡雪ぞ降る

三千大千世界を「定本 良寛全集」第二巻では「みちおほち」と振り仮名を付けるが、「みちあふち」とする書籍もある。どちらが正しいのか。今回は「定本 良寛全集」第二巻に従ひ「みちおほち」が正しいとすると、三千大千を和語にしたものだ。
三千大千世界とは、地球や太陽系や銀河を含めた全体のことだ。「定本 良寛全集」第二巻では淡雪と泡雪を同義とするが、別の意味にしたらどうだらうか。
冬の寒さが緩み春となった淡い雪の中に、宇宙がある。その中に、泡のやうに消えやすい雪がある。春の世になって楽園の景色でも、実は無常だと詠ったもので、意味が明白だ。 「はちすの露 唱和篇」では、貞心尼が
くるに似て かへるに似たり おきつ波

と申し上げたところ、病床の良寛は
あきらかなりけり 君がことのは

と述べ
天保二卯年正月六日遷化よはひ七十四  貞心尼

遷化とは 高僧の死を 惜しみつつ 送る言葉で 良寛は 高僧として 慕はれた 山中(やまなか)に住み 人里に 降りて飯(いひ)乞ふ 高僧として


十二月二十九日(水)
五合庵時代の長歌に
弥彦(いやひこ)の 神のみ前の 椎の木は (中略) 上(ほ)つ枝(え)は 照る日をかくし 中つ枝(え)は 雲をさへぎり しづ枝(え)は いらかにかかり (以下略)

上(ほ)つ枝(え)、中つ枝(え)、しづ枝が三つに対応し、美しい表現だ。字数が四文字のものが二つあり、上(うえ)つ枝(え)または上(ほ)つ枝(えだ)としないのは、古事記の歌に四文字の句を使ふ例があるからで、良寛が字数より古事記を元歌とすることに美意識を持ったのかと感心する。或いは、朗詠すると字足らずが気にならないのかも知れない。
解説は
「新嘗屋(にひなへや)に生ひ立てる百足る槻が枝(え)は上枝(ほつえ)は天を覆へり中つ枝は東を覆へり下枝(しづえ)は鄙(ひな)を覆へり」(『古事記』下巻)。

五合庵に定住し、時間に余裕が出来て、古事記を読んだのであらう。しかし良寛に四文字の句はほとんどない。一時のゆらぎだった。

十二月三十日(木)
「乙子神社草庵時代」で表現の美しい歌は
わが庵(いお)は 国上山もと 神無月 しぐれの雨は ひめもすに 降りみ降らずみ 乙宮の もりのもみぢは 散り敷きぬ 夕さりくれば さすかけて つまぎたきつつ 山たづの 向かひの岡に 小牡鹿(さをしか)の (以下略)

「島崎草庵時代」で表現が美しいのは
わが宿は 人のうらじり 夕されば 枕にすだく こほろぎの声

もう一つ、貞心尼からの便りへの返し文に
あづさ弓 真弓破魔弓 白真弓 春の初めの 君が言の葉

まだ確定ではないのだが
良寛は 晩年になり 表現が 内容よりも 美しくなる
(終)

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