千六百六十三(和語の歌) はちすの露
辛丑(2021)
十二月二十ニ日(水)
「はちすの露」の序を読むため、二冊借りた。そのうちの一冊は、歌しか載らなかった。もう一冊は「国語大観 第九巻私家集編V歌集部」で、A4版803ページの百科事典並みで、三十七の歌集が小さな活字で収録される。
「はちすの露」は二十九番目で序の注目すべきは、
はたちあまりふたつといふとしにかしらおろし給ひて

の部分だ。良寛が出家したのは二十二歳。これについて解題には
「はたちあまりふたつ」は、底本ではミセケチにし、右傍に小字で「十八才」と記しているが、諸説を勘案し、訂正前の本文を残すことにした。

とある。ミセケチとは、見せ消ちのことで、元の文を見えるやうに訂正したものである。
良寛は 二十(はた)と二つで 家を出て 心を発(た)ちて 仏の道へ

解題はその前に
外題・内題ともになく、巻末の山田静里の文によって「はちすの露」という。本書は、貞心尼の序文・良寛の歌・良寛と貞心尼の贈答歌・良寛の発句・本書命名の文(山田静里誌)・良寛禅師戒語・稲川惟清の文よりなるが、すべて貞心尼の自筆で、(中略)全文を収録した。


十二月二十三日(木)
序文で、次に注目すべきは
円通寺の和尚国仙といふ大徳の聖のおはしけるを師となして、としごろそこに物し給ひしとぞ、叉、世に其名聞えたる人人をば遠こちとなくあまねくたづねとぶらひて、国国にすぎやうし給ふ事はたとせばかりにして、つひに其道の奥をきはめつくしてのち、故里にかへり給ふといへども(以下略)

良寛の行方不明期の記述は、其名聞えたる人人の具体名がない。場所もない。しかし「つひに其道の奥をきはめつくしてのち」とあるから、三学を怠ることなく時間を有効に使ったに違ひない。さうすれば国内に記録が残るので、ますます渡航の可能性が高い。
良寛は 寺を出た後 何処(いづこ)へか 発ちて其道 奥を極める


十二月二十四日(金)
序文は後半で
かく世はなれたる御身にしも、さすがに月花のなさけはすてたまはず、よろづの事につけ折にふれては、歌よみ詩つくりて、其こころざしをのべ給へぬ、

ここまで同感。
されど、是らの事をむねとしたまはねば、たれによりてとひまなびもし給はず、ただ道の心をたねとしてよみいで給ひぬる其うたのさま、おのづから古しへの手ぶりにて、すがたことばもたくみならねど、

ここは、私と貞心尼で意見が別れる部分だ。万葉の歌を詠んだ人たちは、誰かによって問ひ学んだ訳ではない。すがたことばがたくみなのは、古今集以後だ。
また、万葉集や古今集は、歌人が膨大な数の歌を詠んだ中の一部が選ばれた。選抜した歌ではなく、個人の歌集や備忘録を読めば、すがたことばがたくみならぬ歌がほとんどではないだらうか。ましてや、良寛は書が主、歌は従だった。
たけたかくしらべなだらかにして、大かたのうたよみのきはにはあらず、長歌みじかうたとさまざま有るが中には、時にとり物にたはぶれてよみすて給へるもあれど、それだによの常のうたとはおなじからず

ここは同感。ながうた、みじかうたの語は、私も今後使ふやうにしたい。
長うたを 世に呼び戻し みじかうた 古いしらべも 世に呼び戻す


十二月二十五日(土)
唱和篇で貞心尼の一番目と二番目の歌は技巧的である。
師常に手まりをもて遊び給ふときゝて奉るとて 貞心尼
これぞこのほとけのみちにあそびつつつくやつきせぬみのりなるらむ

てまりをつくと、仏の道はつきせぬが、掛かってゐる。
はじめてあひ見奉りて
きみにかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬゆめかとぞおもふ

うれしさがさめやらぬが、さめやらぬゆめに、掛かってゐる。
歌を鑑賞するときに、どこに美しさを感じるか。明治時代初期までの人は技巧に尽力し、技巧の優れた歌に魅力を感じる。一方で貞心尼は
されば、かかる歌どもの、ここかしこにおちちりて、谷のうもれ木うづもれて、世にくちなんことのいといとをしければ、ここにとひかしこにもとめて、やうやうにひろひあつめ、また、おのが折ふしかの庵りへ参りかよひし時、よみかはしけるをもかきそへて、一まきとなしつ、

と書き、良寛の歌を大事にする。貞心尼の歌で技巧的なものが、まだ二つあり
はるかぜにみやまのゆきはとけぬれどいはまによどむたにがはのみづ

あと
きて見ればひとこそ見えねいほもりてにほふはちすのはなのたふとさ
(終)

追記十二月二十八日(火)
「はちすの露 本篇」にも貞心尼の歌がニつある。「国語大観 第九巻」では普通の歌、つまり良寛作として扱ふので、「定本 良寛全集」第二巻から引用すると、まづ一つ目の解説に
この歌は貞心尼作である。この歌から四三四「いで言は」の歌まで、唱和の二対四首で構成される。(中略)「唱和篇」に編み入れるべきを、(中略)「本篇」に入れたようだ。

二つ目は
あしびきの 山の椎柴 折りたきて 君と語らむ 大和ことの葉

椎柴がことの葉に繋がり、技巧的に詠った。
「唱和篇」の技巧的な歌を、既に四つ紹介したが、追加すると
山の端に 月はさやかに 照らせども まだ晴れやらぬ 峰のうす雲

月は照らすが、雲は晴れやらぬ。二つの対比が美しい。
いづこより 春は来しぞと 尋ぬれど 答へぬ花に うぐひすの鳴く

答へぬ花と、鳴くうぐひす。この歌も二つの対比が美しい。
秋萩の 花咲くころを 待ち遠み 夏草分けて またも来にけり

「夏草分けて」の表現が美しい。
「はちすの露」に載る貞心尼の歌二十五のうち、技巧が七つ、表現が一つ。残りが十七あるので、良寛と貞心尼に、作風の違ひがあるとは云へない。しかし選歌して歌集に載せれば、良寛と貞心尼の作風は大きく異なることになってしまふ。

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