千六百六十ニ(歌) 行動日記(お屠蘇と砂糖と塩水港精糖、終はり無き世、三が日は家で、良寛を一時終了、めでたい新年を見つける)
辛丑(2021)西暦元日後
閏月一日(土)
お屠蘇は、毎年みりんに一晩浸し、日本酒で薄めて飲む。今年は、お屠蘇の説明書に日本酒とあるので、日本酒に浸した。飲む前にみりんか砂糖を加へるとあるので、砂糖を中型スプーンで一杯分入れた。
飲みながら、鶴見駅の海寄りに塩水港精糖の工場があり、塩水港は台湾の地名だと説明した。うちの子は二人とも鶴見区に高校生の時まで住んだので知ってゐるのかと思ったが、下の子が塩水は地名なのかと質問するので、そのとほりと答へた。
インターネットで調べると、塩水港精糖は本社が中央区日本橋で、横浜共同生産工場(太平洋製糖株式会社)がある。
沿革を調べると、1966年 3月横浜工場竣工(溶糖能力650トン/日)。11月本社を横浜市大黒町へ移転。1983年東洋精糖株式会社と業務提携し共同生産会社として、太平洋製糖株式会社を設立。
なるほどと納得した。横浜市大黒町とは、今の鶴見区大黒町だ。2002年本社を東京都中央区日本橋へ移転。

閏月二日(日)
本日は、上の子が七時に出勤する。動物病院は休診だが、入院中やペットホテルがあるので、本日は当番だ。六時四十五分までに、皆で雑煮を食べた。
本日は、お屠蘇に砂糖を入れるのを忘れた、昨日塩水港精糖の話をしたにも関はらず。昨日、妻がかんちくと云ふので何の事かと思ったら、患畜だった。上の子が勤務する職場は、普通に患者と呼ぶさうだ。
新年は 終はり無き世を 祝ひつつ 西の野蛮な 文明で 終はり無き世の 終はり近付く

(反歌) 今年こそ 西の野蛮な 文明を 終結させる 新たな年に
(反歌) 地球には 動植物も 棲むことを 野蛮文明 理解できない 

閏月三日(月)
三が日のうちの一日は、浅草の木馬亭で浪曲を鑑賞しようと思った。しかし新型コロナの影響で、座席が一人置きだと満席になることがある。二日か三日なら大丈夫かと思ったが、外が寒いので結局は中止した。
さいたま市立図書館のうち、大宮図書館は年末年始も開館する。一回行かうと思った。せっかく回数券を買ったので、国際興業バスで行けないか調べたが、さいたま新都心と大宮の間は路線が無い。そもそも浦和から先は一本で北浦和までしか行けない。国際興業の一日乗車券は高い。結局は中止した。
テレビは一回も見なかった。パソコン(ホームページ執筆、検索と調査)と読書で三日間を過ごした。鼻に血の塊ができた。仕事で外出なら、マスクの内側に濡れたガーゼを置く。家の中はマスク無しだが、昨日は風が強かったので室内の湿度が下がったのかも知れない。
木馬亭 行かず大宮 図書館も 寒く家にて テレビ見ず パソコン読書 知的活動

(反歌) 大宮の 参道脇の 図書館に 行きたいものの 寒さに負ける

-----------------------------ここから良寛十八------------------------------------
閏月四日(火)
年末年始の読書用に、(1)會津八一の歌集、(2)斎藤茂吉の歌集、(3)「定本 良寛全集」第一巻詩集、(4)同第三巻書簡集法華転法華讃を借りた。このうち、會津八一と斎藤茂吉の歌集を読み終へて、特集も作った。
次に「定本 良寛全集」第一巻を読まうとするのだが、エンジンが掛からない。本文の前に載る「良寛の生涯略伝」に賛成ではないと云ふ事情も少しはある。しかし良寛の詩は何回も読んだので、今はもう十分と云ふ気持ちが強かった。
「定本 良寛全集」第三巻も、エンジンが掛からない。本文より前の「良寛の芸術世界」に
円通寺を出たのち、寺の住職となる道を進まず、俗人に戻ることもせず、非僧非俗の生き方をつらぬいたことである。

間違った部分を赤色にした。良寛は非僧非俗ではなく、僧だ。宗派から離れたため、非僧非俗と自ら呼んだとすれば、ここで云ふ僧とは僧伽(宗派)のことだ。非僧非沙門と呼んだとすれば、沙門は僧と同義語だ。江戸時代に沙門の原義 śram(努力)まで遡ることはないが、遡ったとしても宗派から離れたため努力はできなかった。いづれにせよ還俗したことはない。
それより、ここでも本文を読まうと云ふ気にならない。この文章を書く前に、斎藤茂吉の師匠である伊藤佐千夫の歌集を何冊かインターネットで図書館予約した。良寛を調べ始めて半年。そろそろ終了させる潮時だ。
歌の道 良寛の道 行き来して 歌の道へと 今は進まう


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-----------------------------ここまで良寛十八------------------------------------

閏月五日(水)
母の認知症は、年齢相応に少しづつ進む。一時、母は妻と時間をずらして食事をしたのに、今はいっしょに食事をするやうになった。認知症が少し進んだとも云へるが、喜ばしい事だ。
私も一つ歳を取った(祖父母の世代までは、新年になると皆が一つ年を取った。数へ年である。私は数へで六十七歳になった。生まれた年が一歳だから、満年齢より一つ、誕生日前は二つ多い)。しかし二人の子が、社会人として半年ごとに進化するので、新年はめでたいことだ。
新年は 見る位置により めでたくも めでたくなくも 変化する めでたい年と 見る位置を 見つけることが 新年祝ふ

(反歌)
一休は 坊主失格 めでたくも ありめでたくも なしと叫んだ
一休は 破戒坊主だ 餓鬼の世へ めでたくもあり めでたくもなし
(終)

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