千六百六十四(新和語の歌) 1.(インターネット)不快で目立つものは無視を、2.大河ドラマ批判
辛丑(2021)
十二月二十四日(金)
インターネットは、普及してからの歴史が浅いため、見る人を不快にさせる内容がときどきある。まづは、不快な写真や絵だ。ずるがしこさうな人が大笑ひする場面、素っ頓狂な顔の表情や動作など、単に目を引かうとするものだ。
二番目は、悪名高い人に発言させる。何かニュースがあったときに、マスコミは事実を報道してくれればよい。コメンテーターと称する人自体が不要なのに、悪名高い人を有名と勘違ひして発言させてはいけない。
悪い人 名高い人と 逆らひて 多くの人の 下に棲みつく 名低い人か
三番目は、動画である。視界に動くものがあると、無意識のうちに動くものに視線が行く。何かを読んでゐるときに、画面の別の場所で宣伝の動画がある。これは悪質だ。
以上、一番目から三番目に遭遇したときは、無視することが大切だ。クリックして読んではいけない。良貨で悪貨を駆逐しようではないか。
十二月二十五日(土)
今年も、大河ドラマは途中で見なくなった。本筋と無関係の話を入れるときは、(1)本筋の進展に役立つものか、(2)視聴者の興味を高めるもの、でなくてはいけない。ここで(2)とは、大隈重信と伊藤博文の関係、三菱の岩崎と渋沢の関係など、視聴者が興味を持って観ることができる。
大河ドラマは、どちらにも当てはまらない話がときどき入る。例へば、戊辰戦争の戦闘場面を延々と繰り広げたり、太政官や大臣の会議の場に渋沢栄一が間違へて現れ、延々と演説する。かう云ふ、つまらない話を入れてはいけない。
つまらないと云へば、「徳川家康です」はひどかった。インターネットのときに述べた、見る人を不快にさせる典型だ。ああ云ふことをすれば、話題にはなる。しかしそれは悪名高い話題だ。
芝居には 役に立たない 話入れるな 出る人に 嫌みな役を させてはならぬ
あと、大河ドラマをつまらなくしたものに、個性ある俳優を使はなかった。イケメンを揃へればいいと云ふものではない。人気のある若手を多数出せばいいと云ふものではない。それでは、誰が何の役だか、観る人が混乱する。次の人たち以外は、男は男、女は女で、皆同じ顔に見えた。
渋沢市郎右衛門、尾高惇忠、尾高長七郎、渋沢千代、真田範之助、篤君、徳川慶喜、徳川昭武、平岡円四郎、平岡やす、川村恵十郎、杉浦愛蔵、栗本鋤雲、西郷吉之助、五代才助、岩倉具視、大隈重信、三野村利左衛門
あと俳優は、視聴者が共感できる人を出演させるべきだ。共感できる前提として、個性が無いと区別できないから駄目だ。個性があっても、徳川家康は嫌味で共感が無い。(終)
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