千六百六十六(歌) 會津八一と斎藤茂吉の歌集
辛丑(2021)西暦元日後
閏月一日(土)(2022.1.1)
會津八一と斎藤茂吉の歌集を、図書館で借りた。たまたま開架にあった。それだけの理由だった。あと會津八一は、本来名前さへ知らなかったが、良寛と同じく越後の出身なので、良寛を調べる途中で名前を知った。
斎藤茂吉も事情は同じで、彫刻家かと思ったら、精神科医で歌人だった。高村光太郎と完全に混同してしまった。
會津八一の歌集を開いて驚いた。全部平仮名だ。これについて會津八一は、巻頭の「序」に続く「例言」で(原文は正字体)
始め大正十三年『南京新唱』を出さんとしたる時、著者の原稿は通巻ただ平仮名のみにて認めたるに、(中略)これを以て著者の歌集の、偏屈なる一特色の如くに思ひなせる人少なからざる如し。されど著者は、いやしくも日本語にて歌を詠まんほどのものが、音声を以て耳より聴取するに最も便利なるべき仮名書きを疎んずるの風あるを見て、解し難しとするものなり。

ここまでは、なるほどと思ふ。歌会が音声で行はれることを思へば、或いは字余りが「あ、い、う、お」のどれかを含むことを理解するには、かう云ふ書き方が良いのかも知れない。
しかし
欧米の詩歌もいはば仮名書きにあらずや。土耳古、波斯、印度諸国の詩歌も仮名書きにあらずや。中華民国は(中略)古来我が国人が同じ一字を音訓二様、(中略)四様五様に用ゐわけ(中略)には比すべからず。

ここは不賛成だ。日常用ゐる文字と詩歌の関係を考慮すべきだ。とは云へ、この主張には不賛成だが、仮名書きがいけない決定理由にはならない。
しかも著者は(中略)仮名のみにて記しても、尚ほ人のたやすく理解しくるる如き歌を作らばやと、己を鞭ちつつあるなり。(中略)世上に行はるる如く、無理なる漢語に、甚だ身勝手なる振仮名をつけて、それによりてやうやく意味の疎通を助け、もし得べくんば、含蓄をも深めんとする如き態度は、世界第一の奇観にはあらざるか(以下略)

ここは賛成。南京は奈良のことで、中国の南京(ナンキン)ではない。
「南京新唱」の章では
かすがの に おしてる つき の ほがらかに あき の ゆふべ と なり に ける かも

なるほどたやすく理解できる。一方で
うちふして もの もふ くさ の まくらべ を あした の しか の むれ わたり つつ

耳で聴いても、背後の漢字を頭で描く。平仮名を読むと、耳で聴くより労力を消費するので、漢字を想像しにくくなりはしないだらうか。
こがくれて あらそふ らしき さをしか の つの の ひびき に よ は くだち つつ

「木隠れ」か「小隠れ」か、漢字が想像できないものもある。

閏月二日(日)
會津八一の歌は、表現が美しく、口調が良い。そして、出来の悪い作品がほとんどない。五段階評価だと、四(優れる)または三(普通)だ。
だからどの歌を選んでも良いのだが
おしなべて さぎり こめたる おほぞら に なほ たちのぼる あかつき の くも

或いは
あけぬり の のき の しらゆき さながらに かげ しづかなる わたつみ の みや

この二つを選んだ理由は、奈良旅行の章の次の章とその次だ。奈良旅行は好きだが、奈良旅行の歌はその偏りがあると思ひ、紹介からは外した。
會津八一は、仮名書きで大きく損をした。普通の表記法なら、明治から昭和までを代表する歌人になっただらう。外国人向けなら、これがよい。しかし日本語を母国語とする人に、普通の日本語と異なる書き方をしても、読みにくい。
歌会の発音に近づくかと思ったが、これも違ふ。
平仮名の 新表記法 試すには 歌に使はず 普通の文で


閏月三日(月)
斎藤茂吉は
かぎろひの夕べの空に八重なびく朱の旗ぐも遠(とほ)にいざよふ

その九つ先の
小幡ぐも大旗雲のなびかひに今し八尺(やさか)の日は入らむとす

やさかは漢字がないと意味が解らず、會津八一理論では駄目なことになってしまふが。
二つの歌を見て感じたことは、万葉集などを熟読したのだらう。明治四十年作の二首を頂点として、明治三十八年から大正二年までで「赤光」は終はる。頂点から後が極めて長い。斎藤茂吉本人は、私とは別の解釈を為し初版の抜では
読んでもらふうへは自分に比較的親しいのを読んでもらはうと思つて、新しい方を先にした。

それが第五版が品切れになった後の『改選「赤光」抜』では
順序を換へて旧い歌の方を先にし

とある。私は表現の美しさ、斎藤茂吉は内容重視。その差であらう。私自身は口語の歌なので、斎藤茂吉が明治四十年に作った二つの歌に描かれた美しさは出せないが。
音の数 合はせることの 美しさ それにて歌は 合格も 他の美しさ 意図せずに 時に加はる 歌の楽しさ


閏月四日(火)
書籍は後半に、昭和二十一年からの『「白き山」から』を載せる。前半の『歌集改選<赤光>全篇』は文字どほり全篇だが、「白き山」は抜粋だ。
前半と後半の間に三十四年の空白がある。その間に発行した歌集は、今後折を見て読みたい。「白き山」は、漢語の比率が多くなる。「赤光」の末期は、漢語が入ることがあっても僅かだった。三十四年間の年月が変へたのか、それとも終戦が変へたのか。(終)

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