千六百六十九(和語の歌) 再び、會津八一を特集
辛丑(2021)西暦元日後
閏月五日(水)(2022.1.5)
會津八一と斎藤茂吉の歌集を特集し、終了後に、斎藤茂吉の師匠である伊藤佐千夫の歌集を何冊か予約した。本が来るまでの間に、良寛全集を読まうとするのだが、エンジンが入らず良寛は中止した。この時点で、私の関心は斎藤茂吉系列に向かふかに見えた。斎藤茂吉系列とは、アララギ派の人たちだ。
伊藤佐千夫を読む前に、「會津八一全歌集」(昭和六十一年発行)を再度読むと、優れた歌ばかりだ。斎藤茂吉で優れた歌は、私の感覚で選歌すると二首。ところが會津八一の歌集には、二首と同等の歌がたくさんある。ここに私の関心は、會津八一へと向かふことになった。さっそく優れた歌を紹介すると
よひ に きて あした ながむる むか つ を の こぬれ しづかに しぐれ ふる なり

意味は、「夜に到着し、朝眺める向かひの峰の、梢へ静かに時雨が降る」
この歌の優れたところは、向かひの峰を「むかつを」と古語で表現したことと、梢の古語「こぬれ」としぐれが対を為すことだ。
間違へやすいのは、よひ(宵)とは日没から夜中までのことだ。夜の初めは「宵の口」で「宵」とは別物だ。
なべて よ は さびしき もの ぞ くさまくら たび に あり とも なに か なげかむ

意味は「全て世は寂しいものだ。旅にあっても寂しいが嘆くだらうか、いや嘆かない」
この歌を挙げたのは、今と異なり夜は真っ暗になる。旅で寂しい気持ちが強く現れる。珍しく表現以外で選歌したが、「さびしき もの ぞ」が「くさまくら」に掛かるところは、やはり表現の美しさだ。
旅の夜は 窓を開けば 暗闇が 山川田畑 道に連なる

続いて
かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと

意味は「春日野に鹿が臥す草の偏りを見て、私が恋ひ思ふ事は遠い昔の人だ」
「かたより」が、目の前と古代を繋ぎ、「しか ふす くさ」と「とほ つ よ の ひと」が対になってゐる。
昭和三年の「南京續唱」では、今まで挙げたやうな美しさが無くなる。奈良を題材とするので、仏法用語が漢語で入るのは、仕方のないことだ。私自身はこれまで、漢語を一文字づつ訓読みにする方法を提案して来たが。
しかし漢語以外に、美しさが消滅した。漢語が入っても美しいのは
ひかり なき みだう の ふかき しづもり に をたけび たてる 五だいみやうわう

意味は「光のないみ堂の深い静まりに、雄叫びを立てる五大明王」
堂と五大明王が漢語だ。「ひかり なき」と「ふかき しづもり」の組み合はせが美しい。「ふかき」は光が入らないくらい深いのと、深い静まりの、掛詞と見た。
むかし きて やどりし ひと を はりまぜ の ふるき びやうぶ に かぞへ みる かな

意味は「昔来て泊まった人を、貼り混ぜた古い屏風で数へた」
はりまぜの語が、この歌の美しさだ。

閏月六日(木)
昨日は古語の入るものを、選歌した。しかし
さにはべ の かぜ を こちたみ うつろひし ばら の つぼみ の ゆれ たてる みゆ

意味は「小さな庭に吹く風は烈しく、色が褪せた薔薇のつぼみが大きく揺れるのが見える」
この歌は、万葉集の古語を使ふが、それが活きない。昨日の「はりまぜ」は、それが中心になって前後が対を為した。
その三つ先の
いね がて に わが もの おもふ まくらべ の さよ の くだち を とし は いぬ らし

意味は「眠れず物思ひをする枕元で、夜が更け年が過ぎ去る」
「いねがて」「まくらべ」「くだち」と古語は美しいが、内容は、寝られぬ夜が続き年を取る、とまづ読める。それだと内容が良くないが、二つ前の歌は「除夜の銀座に出でて」と詞書があるので、この歌も大晦日のものとも取れる。三つ先の歌に「ざふに」(雑煮)が出てくる。
本日の以上挙げた歌は「九官鳥」の章で昭和十五年一月だ。次の「春雪」昭和十五年二月は、叔父の臨終と葬儀とは云へ、特長が元に戻る。
その次の「印象」は大正十二年九月だが、己卯十月と記された昭和十四年のまえがきには、唐人の絶句の意を以て和歌二十餘首を作り、その九首を世に問ふこととなせり、とある。その中の
あきやま の つち に こぼるる まつ の み の おと なき よひ を きみ いぬ べし や

意味は「秋山の土に松の実が落ちる音さへしない夜を、君は眠るべきだらうか(寝るべきでない)」
古語は「いぬ」だけだが、静けさが美しい。
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし

「うらは」は葉の先端で、意味は「沈む夕日が差すキビの葉の先をひるがへし、風が渡り行く人はゐない」
これも「うらは」を除き古語はない。内容が良ければ美しくなることを示す。
うみ に して なほ ながれ ゆく おほかは の かぎり も しらず くるる たかどの

意味は「海に入りなほ流れてゆく大川は限りなく、高殿は暮れる」
八一はこれらについて
翻訳にあらず創作にあらざるところ果して何物ぞこれ予が問はんと欲するところなり

唐土(もろこし)の 詩(うた)を訳(と)かずに 創らずに 大和の歌へ 何物で詠む

私は何物が、内容の美しさと、わずかに古語の美しさを残す技法と見た。昭和の初め頃から八一の歌は、内容重視になる。

閏月六日(木)その二
「榛名」は昭和十五年六月。詞書に
吉野秀雄の案内にて多胡の古碑を観たる後伊香保にいたり(以下略)

とある。最初の歌は
たまたまに やま を し ふめば おのづから やま の いぶき の あやに かなし も

意味は「たまたま山を踏むと自然と山の息吹にとても心惹かれる」
ここで注目すべきは、「かなし」を古語と同じで愛しい意味に使ふことだ。會津八一の模範は、昭和十五年も万葉集であることが判る。
とね いまだ うらわか からし あしびきの やま かたづきて しろむ を みれば

意味は「利根川は若々しかった、山に片側を接し水が白くなるのを見れば」
「かたづきて」が、この歌の美しい源だ。
むらぎもの こころ はるけし まなかひ に なつづく やま の そき たつ を みて

意味は「心ははるか遠くにある、目の前に夏づく山が遠くに立つのを見ると」
「はるけし」と「まなかひ」「なつづく」「そきたつ」。久しぶりに美しい古語が並ぶ。
かみつけ の くに の かぎり と たつ くも の ひま にも しろき ほたかね の ゆき

意味は「上毛の国境だと立つ雲の間に、白い武尊山の雪が」
「ほたかね」は武尊山(ほたかやま)のことで、飛騨山脈(北アルプス)の穂高岳とは異なる。
ここまで十首のうち四首を選んだ。かなりの高率だ。次に
三日後榛名湖畔にいたり旅館ふじやといふに投ず

とあり
いたり つく やま の みづうみ おほなら の ひろは ゆたけく かげろへる かも

意味は「到着した山の湖は、大ならの広い葉が豊かで、光がちらちら見える」
「いたりつく」「ひろはゆたけく」「かげろへる」と古語が美しい。
なら の は は いま を はるび と わが たてる つか の あひだ も のび やま ざらむ

意味は「ならの葉は今が春の日だと、私が立つ束の間にも伸びて止まらないだろう」
「わが たてる つか の あひだ」。この組み合はせが見事だ。
ここは六首のうち二首。しかし選ばなかった残りは「わが よ は をへむ(我が世は終へん)」「つる は なに うを(釣るは何魚)」「しろがれ に かれ たつ かや(白枯れに枯れ立つ萱)」「こひ しにて あり(鯉死にてあり)」と、嫌な題材だ。内容の優れるのが昭和以降、會津八一の特長と思ったら、例外があるやうだ。
次は
宿の主人心ありて高山の植物多く食膳にのぼる

とあり
あつもの の うけら も をしつ みづうみ の やど の あさげ は のち こひむ かも

意味は「うけらの熱物を食べた湖の宿の朝食は、後に恋しく思ふだらう」
「うけら」とはキク科オケラ属の多年草。「をしつ」「こひむ」が古語だ。
ここは二首のうち一首を選んだ。残りの一首は「をとめ が かみ も わわけ たり」と、台所が古いのでそこで働く女性も髪がほつれてゐるだらうと、つまらない内容だ。
「榛名」は、優れた歌と、内容の悪い歌が混在する。
旅の恥 掻き捨てと云ふ 昔から 歌も書き捨て 旅の疲れか


閏月七日(金)
「雁来紅」昭和十五年九月。植物で和名はカマヅカ。
かまづか は たけ に あまれり わが まきて きのふ の ごとく おもほゆる ま に

意味は「かまづかは背より高い。私が蒔いたのは昨日のやうに思ふ間に」
十六首ある。かまづかが気に入ったのだらう。「しょくだう」「すゐぼく」と漢語が入るのは二首のみ。後者は和語に調和するから、漢語すべてが駄目ではない。「すゐせん を ほりたる あと に かまづか を」と日記風の歌もあり、これは良い事だ。散文を書くときに、すべての文章が文芸ではない。同じく韻文も、すべてが文芸でなくてもよい。定型自体が美だ。
「草露」昭和十五年十月。四つのうち二つを選んだ。
くも ふかみ いま か いざよふ あまつひ の ひかり こもらふ かつらぎ の そら

意味は「雲が深く今は出られないのだらうか、天の日の光が籠る葛城の空」
葛城の上部は日の光が照る。美しい想像の光景だ。
うつろひし つづれ の ほとけ つたへ きて やま は ことし も もみぢ せる かも

意味は「退色した綴り織りの仏を伝へ来て、山は今年も紅葉することだ」
退色した綴り織りの仏と、山は紅葉。対比が美しい。
まだ書籍全体の三分の一だ。昭和の初期から歌が変はったのではと心配したが、さうではなかった。會津八の歌集は、もっと長い月日を掛けて詠む必要がある。
徳川が 倒れた後の 我が国で 歌詠み人の 筆頭(ふでがしら) それは越後の 會津八一だ

(反歌) 今の世に 歌から消えた 美しさ 八一の歌は それを引き継ぐ
最後に、リンクを「良寛(十八)」から「良寛と會津八一(十九)」に引き継いだので、「良寛禅師をおもひて」昭和二十一年十二月をすべて取り上げよう。
みゆき ふる ふゆ の ながよ を つらつらに くがみ の ひじり おもほゆる かも

意味は「雪が降る冬の長い夜は、つくづく国上の聖が思はれてくる」
雪が降る冬の長い夜と、国上の聖。その並列が美しい。
かかる よ を しば をり くべて ゐろりべ に もの もひ けらし うつら うつらに

意味は「かかる夜は柴を折りくべて、囲炉辺で物思ひしたのであらう、うつらうつらと」
會津八一の住まひと庵が、「かかる よ」で繋がる。
いま の よ に いまさば いかに うちなびき なげかむ きみ ぞ やま の かりほ に

意味は「今の世にゐたら、どのように伏せながら嘆いただらう君は仮の庵で」
昭和二十一年十二月に詠んだところに意味がある。戦後は明るい世の中だと云ふのは間違ひだ。アメリカの洗脳で最悪の世の中だった。昭和六十年辺りから贅沢な世の中になったが、これは更に悪く地球滅亡と引き換へだ。
あり わびて わが よむ うた を うつしみ に ききて ほほゑむ きみ なら まし を

意味は「住みにくい世の中で私が詠む歌を、今の世の中で聞けばほほゑむ君であることだらう」
住みにくい世の中と、良寛の大きな心が、対比する。
こぞ の はる ゆきて わが みし ふるには に ゆき つむ らし も ふむ ひと なし に

意味は「去年の春に行って私が見た古庭に、雪が積もったことだらう踏む人もなく」
去年の春は、終戦前だった。會津八一の心に大きな断層があることを知ってこの歌を読むと、一味違ふものがある。
徳川の 世で歌詠みの 筆頭(ふでがしら) それは越後の 国上の聖
(終)

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