千六百ニ十五(歌) 三度(みたび)良寛詩と寒山詩を読む(良寛編)
辛丑(2021)
十月十日(日)
三度良寛の詩を読み始めた。実際は、1590と1608ではそれぞれ何冊も読んだのだが、全体で一つの流れだ。1622の寒山詩は2つ目の流れだ。そして今回三つ目の流れになった。
書籍を読むと、影響を受ける。一つ目と二つ目で、それぞれ別の方角に影響を受けたあと、三度読むことにした。
本日は半分読んだ。感想は
(1)良寛は、天台宗の影響がほとんど無い
(2)寒山詩宗と呼ぶのは、良寛をほめ過ぎだった
(3)良寛の詩には、仏道や清貧、自然環境以外の詩も多い。1622の寒山詩で、寒山(及び、豊干、拾得)の真作を指摘したが、厳しく絞り過ぎた
良寛の 詩を何冊か 読み終へて 次に始めた 寒山詩 何冊か読み 今回は 良寛の詩で 行き過ぎ補正
十月十一日(月)
「良寛詩集」入矢義高訳注、2006年平凡社版を用ゐた。入矢さんの「良寛詩集」は過去に三回読んだ。だから入矢さんだけでも、今回で四度(よたび)だ。まづ一三九頁の
我れ今時の僧を見るに 三業を相願みず(以下略)
の漢詩は良寛の面目発揮だ。行方不明時の初期の作だらう。一五三頁の詩は、これから引用する部分が難解なので口語訳を紹介すると
智者はそこのところの本旨をつかんで
一瞬にして像法を越えた人となる
しかし愚者はことさら文言に執着して
言葉を足がかりにして親疎を区別する
「親疎を区別」について、解説で
正法・像法・末法というランク付けによって、釈尊の本旨そのもの(親)か、それの近似値的なもの(疎)かの分別をやること。
とある。「正法・像法・末法というランク付けによって」の部分が余計で、これが無ければ解り易い。入矢さんは名古屋大学、京都大学の教授を歴任したので中立かと思ったが、臨済宗との関係が深く、余計なことを書き末法の禅宗を擁護してしまふ。
十月十ニ日(火)
昨日の一三九頁に至るまでは、仏道と無縁の詩も多い。例へば八十六頁の
清歌す菜蓮の女
新粧 水に照りて鮮やかなり(以下略)
など。読んでゐて気付いたことは、良寛は詩を作ること自体に美意識を持ったのではないか。漢詩には、文字数、余韻の制約がある。それらに合った詩を作れば、読んで美しい。日本人は字数にしか美しさを感じないが、制約に合はせるため工夫を重ねた文章は美しくなる。
実は私も同じ思想を持つ。歌を作る時は、短歌、長歌、旋頭歌、仏石足歌に字数を合わせるため工夫することで、読むとき美しさを生じる。
だから、仏道とは無関係の詩も多いのだと。再び仏道の歌に戻ると一八三頁の詩で、口語訳は
仏はこの自らの心がなるものだ
道も作為とは関わりのないものだ(以下略)
かう云ふ詩があるから、やはり私は良寛を寒山詩宗と呼び、四隠、四聖と呼びたい。例へ良寛が天台宗には染まらなかったとしても。一八五頁の
我れ曾(かつ)て静慮を学び
微々として気息を調う
是の如くして星霜を経
殆んど寝食を忘るるに至る
鐃(たと)い安閑の処を得たりとも
蓋し修行の力に縁るのみ(以下略)
ここまでそのとほり。ここから先は難しいので口語訳を参照すると
しかし[こうした修行を重ねるよりも]
始めから無作(むさ)の境地に達して
一旦ものにしたら永久にものになるというのこそ
最上のあり方なのだ
前半は書き下し文を引用したが、その理由は口語訳が「静慮」を「坐禅」とした。良寛に曹洞宗意識が高いならさうだが、仏道意識が高いなら「坐禅」は不適格だ。円通寺を出た後に、曹洞宗意識が高いかどうかは不明だ。
十月十三日(水)
一八七頁の詩は
(前略) 竟日 無字の経
終夜 不修の禅 (以下略)
終日お経を読まないが読むのと同じことをしてゐる、終夜坐禅をしないがするのと同じことをしてゐる、と解釈した。お経を読むとご利益があると考へがちだ。しかしお経を読む理由は、釈尊の教へを確認することだ。坐禅をする理由は、心を正しくするためだ。
さうではないとする考へが二つあり、一つ目は坐禅をすることは功徳があるとする。私は、一昨年まではこの考へも正しいと思った。その後、この考へから遠ざかったのは、新型コロナ騒ぎでミャンマー寺院での経典学習会がなくなり、学習会の前に行った瞑想の機会が無くなった。家や往復の電車内でも瞑想をするが、これは心を正しくすることが九割だ。
二つ目は、坐禅をすることで悟りを得る(禅宗)、初禅二禅などの境地に至る(南伝の仏道)とするもので、私はこの考へを取らない。その理由は、悟りや初禅などに執着してしまふ。更に執着の原因を考へると、悟りや初禅などに至らないと、坐禅が無駄になる。
しかしそんなことはない。修行がある以上、結果はある。だから一昨年までは、タクシーメーターと同じで坐禅をすればその分の功徳がある、と考へてきた。
良寛のこの詩と、私の二つの考へは、実に相性がよい。
経を読む 坐禅をするの 目的は 三つがありて 正しいは うちの二つと 長年思ふ
(反歌)
良寛の 不修の禅と 無字の経 千年前の 寒山詩宗
十月十四日(木)
一八八頁に載る詩の口語訳は
仏の教えの説かれた十二部経 (中略) どのお経も衆生を済度する (中略) どれが親でどれが疎などと強弁するものではない
この詩は大賛成だ。なぜならお経はすべて釈尊の直説と信じた時代である。すべてのお経の共通項を目指すとよい。そして、すべての宗派は止観(瞑想、坐禅)をすべきだ。
二〇一頁の
(前略)書生は偏えに文に流れ 釈氏は固く理に執す
釈氏とは僧のことだ。このあと書き下し文だと難しいので口語訳に移ると
わびしくも千年このかた だれもこの要のことを論ずる者はない いっそ子どもらと一緒になって 春の日永を毬つきして遊ぼう
これは寒山詩宗の日本での立宗宣言だ。二〇二頁の
出家してからというもの あなたまかせに年月を送ってきた (中略) 興が向いてくると時には筆を取って書く 世間の人はそれを<詩>と呼んでおるそうな
私も同じ感覚で和歌を書く。長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌で書くと、読むとき心地がよい。世間で歌と呼ぶかどうかは無関係だ。
三〇三頁の
この大いなる仏道にはもともと道程はない だからどこが最終の帰着点かは分からぬのだ (中略) 空とか有とかも愚者を導くための仮りの説明 たとい中道に合一しても遂には岐路に陥るのだ(以下略)
最終の帰着点が判らない、に賛成。例へ阿羅漢に達しても(部派)、或いは成仏や彼岸に達しても(大乗)、そのまま放置したら元に戻るだらう。亡くなるまで努力が必要だ。瞑想して何に達した、坐禅して悟ったと公言する人たちは、すべて偽物だ。
空とか有とか中道とか云ふのも、さう云ふ説明で修業が進む人は、止観の一手段として使ったほうがいい。多くの人は修行の妨げになるから使はないほうがいい。
仏道に 最終点は あり得ない 自称阿羅漢 偽物だ 自称悟りた 偽物だ 宗祖管長 すべて偽物
十月十五日(金)
今回の特集で判ったことは、良寛が天台宗の影響を受けたことは無かった。とは云へ、曹洞宗は越えた。決して非僧非俗になったのではなく、浄土真宗に傾いたのでもなく、曹洞宗を越えた僧だった。だから私は、寒山詩宗と名付けた。
五日前にこの特集を始めたときは、良寛を寒山詩宗は誉めすぎかと感じた。寒山の特集を組んだときに、それに慣れ過ぎたのだらう。しかし五日間の間に、やはり寒山詩と良寛詩は同じだとする感覚が復活した。
清国に渡航したかどうかは、判らない。しかし柳田聖山さんや飯田利行さんが云ふやうに、渡航したとすれば、所在不明がすべて解決する。私は、渡航説に賛成だ。
今回の特集を組む前に、良寛は国清寺に行ったのだらうと考へた。しかし天台宗の影響がないとなると、まづ考へられるのは道元と同じ天童寺だ。しかし清国の国内事情で到着した港近くの曹洞宗寺院にしか行けなかったのかも知れない。(終)
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