千六百ニ十五(和語の歌) 三度(みたび)良寛詩と寒山詩を読む(寒山詩編)
辛丑(2021)
十月十六日(日)
寒山詩を読み終へた後に良寛詩を読んだところ、最初は良寛とは少し距離を置いた感想を持ち、暫くしてもとに戻った。だから今度は逆に、良寛詩を何回も読んだ後に寒山詩を読み始めた。
一 重なる巌に我れ卜居す (中略) 茲(ここ)に住み凡そ幾歳か (以下略)
まづ感じたことは、釈尊が仏道を説き、或いは中国に伝はり、どちらも初期のころは出家者の年齢はまちまちだった。子どもの頃に出家するのが普通になるのは、堕落ではないのか。
二 (前略)今日仏身を得る 急急律令の如し
この確信は立派である。と同時に、作者の慢心は感じないから、これも立派である。
五九 (前略)羊を烹(に)て(中略)殃(わざわい)の决(きま)りを受く
日本も江戸時代までは、獣の肉は食べなかった。九五の詩も同じ。
八八 (前略)汝に百勝の術を教ふ 貪らざるを上謨(ぼ)と為す
この前の(前略)部分に、匈奴を討ちに行き、利を得れば敵が死に、利を失へばこちらが死ぬ、とある。貪らざるを上策とするのは実体験がある。今年二月まで勤務した会社で私は六十五歳の再雇用終了まで勤務した。一方で、誰々を辞めさせろと云はれて実行してきた人たちはほとんど定年前に退職した。
一四四 下愚が我が詩を読めば 解さず却って嗤ひ誚(せ)める(以下略)
この詩は寒山作ではないだらう。知識への自信過多だし、トンチ教室みたいだ。
世の中は 醜いことも 多いので 山で仏は 一つの道だ 寒山の道
お寺にも 時の流れで 醜きが 多く現れ 山で仏を 良寛の道
十月十七日(月)
昨日に引き続き
一七七 (前略)進求し虚しく神を労す 人は精霊物有り 字は無く復た文も無し(以下略)
曹洞宗はともすれば神(精神)に労(苦労)をさせる。臨済宗は、字や文をひねくり過ぎる。寒山はそれらを越える。
二〇九 食を説き終(つひ)に飽かず 衣を説き寒を免れず (中略)只だ仏を求めるは難しと道(い)ふ 心を廻らすは即ち是れ仏 頭の外に向かひ看る莫れ
食べ物や衣服の話をしても、空腹や寒さは無くならない。仏を求めるのは難しいと言っても同じだ。実に良い譬へだ。心を廻らせば仏と云ふのは、希望ある言葉だ。
二二一 (前略)陂(つつみ)を決するを以て魚を取るは 是れ一期の利を取るなり
西洋野蛮人どもが、地球を破壊して贅沢三昧をする現代にそっくりだ。
二三四 (前略) 本を棄て却って末を逐(お)ふは 只だ一場の獃(ガイ、おろか)を守る
止観(瞑想、坐禅)で、悟った、何が見えた、は全部末と気付くべきだ。
二六六 自ら出家従り後 (中略) 勤聴(六識)に六根が具はる (中略) 仏と相ひ遇ふを願ふ
これは仏道の詩だが、寒山の作ではないやうに思ふ。
次に拾得の詩に入ると、ほとんど拾得の作だらう。拾得詩の傾向から、寒山詩の真偽を推定するのがよいと思ふ。拾得詩にも後世の作はあり
五 余の住すは方所無く (中略) 或いは香林寺に翫(あそ)ぶ (中略) 我が心誰か你(なんじ)に管す
これは後世の作だらう。まづ香林寺が不明だし、誰か你(なんじ)に管すと冷淡だ。
良寛詩を読んだ後に寒山詩を読んだのに、今回はそれほど行き過ぎが無かった。両方に慣れた。(終)
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