千六百八(和語の歌) 良寛の法華経批判に大賛成(北川省一「良寛、法華経を説く」を読んで)
辛丑(2021)
八月十八日(水)
北川省一「良寛、法華経を説く」は、読む前の予想とは正反対の内容だった。良寛は法華経を批判してゐる。とは云へ、書籍は前編と後編に分かれ、前編は法華経の総論でここには法華経批判はない。後編も、まづ開口は法華経批判がなく、そればかりか良寛は南無妙法華と詩に書いたのに、北川さんの解説が南無妙法蓮華経と二回も書く。昭和六十年の出版であり、まだ僧X系が布教した記憶の残る時代だった。
良寛が法華経を批判したと解釈されたくない出版社の意向が急遽働いたのか、と想像してしまふ。私は法華経が昔から好きではない。その理由が、良寛の法華経批判と同じである。
開口の次の序品で、釈尊が光を放つことを文殊がめでたい光明と云ったことに良寛は
日は朝々、東より出で、月は夜々、西に沈む。(中略)七仏の師、本(もと)の光瑞は斯くの若しと。

これについて北川さんは
文殊よ、そんな事は物珍しく言うことはなかったのだよ、もっとましな事を言うのかと思ったのに。なぜならば日月燈明仏(梵文の原意は、月と太陽を燈火とする者)の名が示すように、太初から日は東から出、月は西に沈む、(以下略)
いわば、近代を先取りした先覚者良寛は、きわめてクールな目で経を見ている。批判的でさえある。いささかも経に酔っていない。しかも、経の本質を見のがさない。

良寛は近代を先取りしたのではなく、経が長い年月を経る間に劣化したことに気付いたのだと思ふ。
白毫相の光、何の似(しめ)す所ぞ。(中略)看(み)よ看よ、花は発(ひら)く(以下略)
仏の白毫相から放った光明は何を示したものか。(中略)あれを見よ、極楽の春の花盛りを。国上の山々に春の花が咲き出した(以下略)

古い書(ふみ) そこにときどき 含まれる 世にも稀なる 出来事は 後に誰かが 加へたものだ

(反歌) 時を経(へ)て 教へ経(おさ)める 経(たていと)は 汚れが付いて ほつれて切れる

八月二十日(金)
方便品では十如是が説かれる。これについて北川さんは
梵文には羅什訳の十如是の原語に相当するものは見出し得ない。

とした上で
人々箇の護身の符あり。(中略)何ぞ必ずしも瞿曇の出定を老せん。(以下略)

北川さんの解説は
仏性は太初以来、人間に本具のものであるから、釈尊がわざわざ瞑想から立ち上って説くまでもなかった。

ここはこのままだと原理主義だ。あとで考察したい。次に、この法は甚深なので仏しか知ることが出来ないとする経文について
是れ思慮の及ぶ所に非ず。誰か寂黙を以て幽致を誇らん。人有って若し端的の意を問わば、諸法元来是の如しと。

北川さんは
諸法(中略)は難解であって、思慮、言表の及ぶところではない。諸仏だけが究仁した所だという。だからといって、これを知っている諸仏は、その安らかな沈黙を、いかにも奥床しい趣であるかのように誇示しているだけでよいのか。(中略)われわれもまた法輪を転じなければならぬ。しかし、一言を以てその本当の処を言ってみろと言われても、「すべてのものは、ソレこの通り、あるがままの姿形なのだ」と答えるほかない。

ここは、釈尊が光を放つことと並んで、法華経で最も嫌ひな部分だ。それを良寛はきちんと昇華した。
仏様 光を放つ 此の書(ふみ)は 仏様しか 判らない 二つの話 後の世に 誰かが入れた 汚れかほつれ


八月二十一日(土)
比喩品では
昔時三車の名空しく有り、今日一乗の実も也(ま)た休(や)む。

これについては
良寛はここで、三乗というような名称は、釈迦在世時から経典成立前後に至るまでの、インドの歴史的呼称にしかすぎず、従ってその対立呼称である一仏乗の名も実も、今の私にとっては用のないものだ(以下略)

これも賛成。化城喩品で
十劫、道場に坐して、仏法現前せず(以下略)
(次の偈で)十劫を過ぎ了って、仏法現在前す。(中略)元来、只だ這般のみ。

これについて
大通智勝仏は十劫の長い間道場に坐していたが、仏法は現前しなかったという。(以下略)
前の偈につづいて、智勝仏はさらに十劫を満了したあかつきにやっと完全な悟りに入ることができた。こうして、ついに開悟できた事を世間ではなかなか見上げたものだというが、それは思い違いだ。なぜならば、人間は本来悟っているのだから。

これはほとんど賛成。人々を励ますため、人には仏性があると云ふのはよいことだ。十劫の長い間を否定するため、人には仏性があると云ふのもよいことだ。だからと云って北川さんの「人間は本来悟っている」は駄目で、悟る努力が必要だ。良寛が云った言葉ではないことは幸いだ。

八月二十ニ日(日)
化城喩品の続きに
(前略)大通智勝、人の之(ゆ)くこと少(まれ)なり。憐れむべし、多少の参玄子。多くは化城に休して生涯を誤る。    (多少参玄子)多くの、仏法の奥所に参学する人。
(前略)大通智勝仏のような修行者はいまは稀になった。多くの修行者は中途で止めてしまう。自分を救済することだけ(括弧内は差別用語なので削除)に満足してしまって、衆生の救済に挺身(大乗)しようとしない。

北川はとんでもない男だ。昭和六十年の出版なので、差別用語はまだ仕方がないにしても、(1)良寛は上座部にはまったく言及してゐないのに勝手に批判対象に加へた、(2)大乗が衆生の救済に挺身しないからこそ良寛はそれを批判し曹洞宗から外れた。
これまで北川の解説が良かったので、前編に奇妙なところがあってもそれを不問にして紹介してきた。しかし「法華転」「法華讃」について、大乗に偏る人の本を読んで、その内容を書いたのだらう。これでこの書籍を紹介することは中止にしたい。
今回の出来事とは別に、三日前に北川の書いた「大愚良寛の生涯」「越州沙門良寛」を読んだ。そのときは「良寛、法華経を説く」を斜め読みではあるが最後まで読んだ直後だったので、なぜこんなすぐれた内容を書いた人が、こんな根拠のない、或いは意味のない話ばかりを連ねるのだらうと唖然とした。
一つだけ内容に触れると、良寛と荘子の関係を北川は延々と描くが、私は良寛と荘子は関係が無いと見てゐる。近藤万丈が土佐で良寛に会った話は真偽不明で、私は偽作説に賛成だ。しかし例へ真実としても、良寛は既に曹洞宗とは別の道を歩むことを選択したのであり、良寛の人生に荘子が影響を与へることは時間が逆だ。良寛に荘子が影響したのなら、円通寺時代または少年時代に荘子の本を机に並べなくてはいけない。
今回は北川の「漂泊の人 良寛」「良寛優游」「良寛さばなしなら面白い」も借りたが、見ないで返却することにした。「良寛、<独游>の書」「定本 良寛游戯」「良寛-その大愚の生涯-」も、八月十六日に予約し図書館に到着済だが、本日予約を取り消した。(終)

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