千五百三十八(和歌) 2.ソフトウェア製品産業で私が目指した方向、3.中曽根康弘が国内を破壊した
辛丑(2021)
三月十八日(木)
今回はまづ「3.中曽根康弘が国内を破壊した」を説明すると、中曽根のプラザ合意が国内産業を破壊した。そして人間関係も破壊し、国内文化も破壊した。プラザ合意のやうな内容が必要なら、少しづつ進めるべきだ。急激にやったから大変なことになった。国内より米国との関係に気を遣ふ中曽根康弘は、首相になってはいけない男だった。お友だちとの関係に気を遣ふ安倍と、同じだ。
ソフトウェア製品産業も破壊された。まづ、ハードウェアの値段が大きく下がった。すると、ソフトウェア製品の値段も下がる。サポート料も下がる。
LinuxとWindowsNT(今のWindowsサーバ)の出現が、これに拍車を掛けた。それまでソフトウェア製品は、CPUの性能で価格が異なった。ところが、LinuxとWindowsNTはOSで価格が決まり、それは今までのCPUの最低価格帯と同一だ。そればかりかWindowsNTは、Linuxより安い。
こんなことを続けたら、将来はWindowsNTばかりになるだらう。そして、この予想は当たった。

三月十九日(金)
ここで、ソフトウェア製品産業とIT業界の違ひを説明すると
(1)ソフトウェア製品産業は、自社でソフトウェア製品を開発する。
(2)IT産業は顧客企業からソフトウェア開発を受注し作成する。しかし一次請け、二次請け、三次請けと多重構造で、二次受け以降を、通常はIT産業と称する。
プラザ合意以前、そしてハードウェアの低価格化以前は、IT会社の多くは自社製品も持ってゐたが、今は駄目になった。

三月二十日(土)
私の場合は、派遣なのに週二日コンサルタントで行くだけだと嘘を吐かれたのが原因で、大変なことになった。元に戻す以外、あり得ない。事業部長が妨害するなら、事業部長を解任すべきだ。それなのに私がこの仕事から外された。だから一年間仕事がなくても、平気だった。責任は、事業部長と四流銀行男にある。
そのうちソフトウェア製品産業の没落で、ソフトウェア製品事業部が消滅した。結果として、海外との連絡などは私が最後までやることになった。ソフトウェア製品部門から追ひ出されて、ソフトウェア製品部門の最後を見届けることになった。
事業部が何かの賞金で購入した大英和辞典は、誰も引き取らないので私が机の引き出しで保管し、再雇用の終了とともに、貸し出し用図書棚に置いた。もともと賞金で購入したものだから、これが一番よい。
大辞典 西新宿へ
移転時に ロッカー少なく
帰宅時に 持って帰るも
マンションへ 引っ越すときに
出勤時 再び会社
引き出しは 狭く不便を
凌ぎつつ 退職の日に 本棚へ置く

(反歌) 幾度の 変遷を知る 大辞典 活用される 日が来ることを

三月二十一日(日)
製品事業がいよいよ無くなるときに、私をまづ開発事業部門でプロジェクトチームのサブリーダーにして、次にリーダーにすることを提案した。これが一番現実的な解決法だ。しかしこの提案は、採用されなかった。
次に、製品を売るノウハウが消滅して十年近く経つため、ビル・トッテンさんのアシストか、或いは私がこの会社に転籍する前にゐた技術商社(その後も取引はあった)と共同で販売し、ノウハウを取り戻したらどうか。かう提案したが、これも採用されなかった。
そして事務部門に所属することが続いた。名目は事務部門でも、戻って来たPCのOS入れ直し、メモリの増設や、壊れたハードディスクの交換が中心のときもあった。これが二十八年間で、一番得意な仕事だった。
会社が西新宿に移転し、千葉事業所と統合の後は、これらの仕事は各自がやることになった。そもそも壊れたハードディスクの交換はやらなくなった。しかし実際は、私に依頼されることが多く、それは再雇用終了の日まで続いた。
私の前任者は、OSを入れ直した後に自動で取り込まれないドライバは、製品をインターネットで探して、手動でインストールした。これはやり過ぎだと思ったが、その努力に感心はしても、批判はしなかった。富士通半導体事業本部の「積極的にやって失敗した場合は、とがめない」の精神が活きた。
尤も前任者は、私が仕事を引き継いだあとは本社に移動し数年後に、富士通の子会社から定年後(或いは再雇用終了後)に人事コンサルタントとしてきた人(退職させたい技術者と面談して転職させる係)と面談し、そのあと顔を見なくなった。
私は事務の仕事が早く、余った時間は英語ニュースを読んだ。
パソコンの 入力時間は
同じでも 作業の前に
段取りの 時間が早く
内容も 改善すれば 高速になる

私の苦手は抑へる仕事だ。短歌に進出しすぐ長歌に移行したことで判るやうに、100点を目指すことは苦手で、300点でも500点でも、人のやらないことを開発するのが得意だ。ISMS(情報セキュリティ)担当者としてもっと管理を厳しくするやう云はれたが、それより技術者の利便の為、新しいプロジェクト獲得の為、管理は緩いほうがいいと考へてしまふ。だからISMS担当者は、別の人と交代した。
勤務中 余った時間は
英語版 ニュースを読むに
利用して ソフト輸入に
備へたが 昨年初めに
ミャンマー語 学習会
復習に 利用を始め
コロナ禍で 中止ののちは
春と修羅 作家Xを
読み返し その鑑賞記
作ったが 第二集にて
自由詩は 合はないことに
気が付いて その後は和歌に 関心移す

(反歌) 長歌にて 世の注目を 集めれば 元の職場に 恩を返せる
(反歌) 農学校 作家Xの 職場にて 注目されると 同じを期待
(反歌) 勤務中 余剰時間を 有効に 使ひこれを 技術者たちに
一昨年までは、余った時間を英語ニュースや英語論評の購読に当てて、会社のソフト輸入再進出に備へた。昨年は、さすがにそれは無ささうなのでミャンマー語に当てた。ソフトウェア会社とミャンマーの組み合はせは、将来が楽しみだ。軍部のクーデターで期待は萎んだが、それは後の話だ。(終)

追記三月二十ニ日(月)
自動で取り込まれないドライバを手動でインストールすると、うまく動かなくなることがある。自動で取り込まないには理由がある。うまく動かなくなったときに、そのドライバを削除して直る場合もあるが、OSを入れ直さないと駄目な場合もあった。
しかし前任者に苦情を言ったりはしなかった。その努力は認めるべきだ。

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