千四百四十八 「春と修羅」鑑賞記、続編
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
七月十三日(月)自由詩の定義が未確定だった時代
心象スケッチ「春と修羅」は、不思議な詩集だ。作家Xは謙遜して、詩集ではないと手紙に書いたが、それは発売後ほとんど売れず、自信を喪失したときの心境だらう。或いは、詩の定義が未確定の時代なので、詩ではない短編文芸と考へたのだらう。今なら当然、詩の範疇だ。
心象スケッチ「春と修羅」を読み、最初に美しく感じない訳は、西洋人を除く大多数の人類は自由詩に慣れてゐない。定型詩なら美しいと感じる。そこで毎日全編を数回づつ反復して読むことにした。最初は「陰気な郵便脚夫」なんて文芸失格だ、「ぽしゃぽしゃした」なんて表現失格だと思った。それが一週間を過ぎると、親しみを持って読めるやうになる。
ここで、自由詩は作家Xに限らずばらつきが大きい。数学用語で云へば、標準偏差が大きい。書籍「春と修羅」に出てきた用語でいへば「風の偏倚」の偏倚(へんい)だ。気にいった詩に注目すればよい。
七月十四日(火)宗教詩はどれか
ほとんど売れなかった理由がもう一つある。先頭を「恋と病熱」にすればよかった。すると二番目が定型詩の「春と修羅」、三番目が「春光呪詛」。これなら発売とともに、文芸界から注目され人気が出ただらう。
「序」に「二十二箇月」とある。しかし先頭の「屈折率」から最終の「冬と銀河鉄道」まで二十三箇月と四日だ。「序」までだと二十四箇月と十四日になる。
途中の「恋と病熱」から「序」までは、丁度二十二箇月だ。一月二十日に始まり、一月二十日に終はる。作家Xは、「恋と病熱」を先頭にする構想だったのではないか。
ここで「恋と病熱」より前は、宗教詩として読むことができる。宗教関係者に送ったが、宗教として読んでくれなかったと後日書いた。
「恋と病熱」より前が宗教詩ではないとすると、宗教詩は全部で七つに減ってしまふ。(1)「有明」に般若心経の一節、(2)小岩井農場のパート九に宗教情操と恋愛、(3)青森挽歌の「あいつだけがいいとこに行けばいいと さういのりはしなかったとおもひます」、(4)(5)「オホーツク挽歌」と「樺太鉄道」の「ナモサダルマプンダリカサスートラ」。(6)「宗教風の恋」、(7)「昴」の「善逝」。
七月十五日(水)美しい表現を二つ発見
今回の精読で、美しい表現を二つ見つけた。一つは昨日紹介した「青森挽歌」の
あいつだけがいいとこに行けばいいと
さういのりはしなかったとおもひます
二つ目は「白い鳥」の
二疋の大きな白い鳥が
鋭くかなしく啼きかはしながら
しめつた朝の日光を飛んでゐる
それはわたくしのいもうとだ
死んだわたくしのいもうとだ
兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる
(それは一応はまちがひだけれども
まつたくまちがひとは言はれない)
七月十六日(木)ぬすびと
「ぬすびと」は問題のある詩だ。「骸骨星座」「提婆のかめ」とあるから宗教詩だ。しかし作家Xの原稿用紙には「青磁のかめ」と推敲した跡がある。
因みに、長い黒い脚はぬすびととは無縁だと解釈した。作家Xには骸骨に見える星座がよあけで青白くなり、凍って乱反射する泥を歩くと、提婆のかめが盗まれた。明るくなってきたので黒かった電信柱は、横棒が耳にあてた手に見え電線はオルゴールの多数ある板に見えた。諸行無常を詠った詩だ。
昔の電信柱は、多数の電線が横棒で平行等間隔に次の電信柱に向かった。その光景が判らないと、オルゴールが判らない。
七月十七日(金)X経の開経にある性欲(しょうよく)
性欲は「しょうよく」と読み、X経の開経である無量義経で使はれる。
一切諸法は、念念不住、新新生滅なるを諦観す。また即時に生住異滅なるを観ず。かくのごとく観じおわって衆生の諸根の性欲に入る。性欲は無量なるがゆえに、説法も無量なり。
これについて大正大学元学長の村中祐生さん(1932-2010)は
性欲とは、あえていえば、人の出生とともなる天性のものであり、死にいたるまでの間、その人の生命力の基幹として有りつづける不変普遍の本質をいうことになろう。すなわち、心性というに他ならない。
作家Xの亡くなる前年に生まれた村中さんの発言は、当時の意味を知る上で重要だ。「小岩井農場」パート九では、どちらの意味で解釈しても、ほとんど違ひはない。
森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」は作家Xも知ってゐただらうから、性欲の本来の意味である心性と重ね合はせて使ったのではないだらうか。
僧X信仰者には、僧Xに傾倒する人と、X経に傾倒する人がゐる。作家Xは典型的な後者だから、開経である無量義経も当然読んだ筈だ。作家Xを悪く云ふ人は、性欲を下品な用語と誤解した。
七月十七日(金)「コバルト山地」までを考察
「屈折率」は、七つ森側が明るいことで成仏、こちら側はでこぼこ凍つたみちで六道を表す。その解釈の根拠は(またアラツデイン 洋燈ラムプとり)で、成仏はともかく神通力があることを示す。
「くらかけの雪」は、「ほのかなのぞみを送るのは/くらかけ山の雪ばかり」で天への道があることを示し、それは(ひとつの古風信仰です)が示す。
「日輪と太市」は、本来は宗教詩ではないが、22箇月を越えるので注意を向けると「毛布の赤いズボンをはいた」が救済の道を示す。
「丘の眩惑」は(お日さまは/そらの遠くで白い火を/どしどしお焚きなさいます)と「笹の雪が/燃え落ちる/燃え落ちる」が救済を示す。
「カーバイト倉庫」は「これらなつかしさの擦過は/寒さからだけ来たのでなく/またさびしいためからだけでもない」が、成仏の難しさを示す。
「コバルト山地」は「たしかにせいしんてきの白い火が/水より強くどしどしどしどし燃えてゐます」が成仏への活動を示す。
七月十八日(土)大畠ヤスとの結婚破談と、とし子の死
作家Xと大畠ヤスは相思相愛だった。作家X家から大畠家に結婚の申し入れをしたものの、ヤスの母親が大反対で破談になった。「恋と病熱」「春と修羅」「春光呪咀」は、そのときの心象を描いたものだ。相手の名を出せないため、作家Xについて悪い話を造る人がたくさんゐた。
「有明」の(波羅僧羯諦菩提薩婆訶)は作家Xに大賛成だ。鎌倉時代は、飢饉疫癘元寇内乱が続いたため、X経以外の教へが悪いと考へた。明治維新以降は、西洋から植民地にされる危険はあったものの、大乗以外の国々も植民地化されたことからX経以外の教へを信じることが原因だとは考へられない。
「谷」の「三人の妖女たち」は、中高年の女性三人による噂話の現場とみた。この先の作品は、情景描写、童話物語の自由詩化、幻想と云ふ名の創造や空想、定型詩(mental sketch modified)と多方面に亘る。このうちの一つでも読者が気に入れば、詩集「春と修羅」は大成功の出版物だ。
大畠ヤスが結婚した相手は医師で、渡米した。このときヤスは既に結核に感染し、アメリカで亡くなった。最後の「冬と銀河ステーション」に、相手の出身地を入れることで、詩集「春と修羅」は、大畠ヤスとの結婚破談ととし子の死が、主題だったと判る。(終)
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