千四百二十 作家X「星めぐりの歌」を久しぶりに聴き、僧X信仰の昭和四十五年転換を論評
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
二月二十一日(金)
本日は二回の偶然が重なり、作家X作曲「星めぐりの歌」を、七年ぶりに聴いた。七年前はNHK朝のテレビ小説「あまちゃん」で聴いた。
まづ本日は、母の通院で有休休暇を取った。病院は午前中で終り、一旦家に戻った。昼食の後に、予定では確定申告に行くはずだった。ところが書類が一つ足りない。妻にスマホで連絡したが間に合はず、確定申告は延期になった。
午後は時間があるので、テレビの番組表を見た。そして「温泉若おかみの殺人推理22」(花巻温泉郷~殺人は下校チャイムで始まった!!白骨死体と駆け落ちした女)を見つけた。
「温泉若おかみの殺人推理」は一年に一作または二作が制作され、全国の温泉を巡る。登場人物は替はったり継承されたりで、その薄い継続性が二十五年間続いた秘訣だらう。あとNHK大河ドラマみたいに堕落しなかった理由であらう。
さて、僧X信仰者は昭和四十五年を境に性格が悪くなったことを前に指摘したが、具体的な内容は書かなかった。性格が悪くなった昭和四十五年以降の僧X信仰者を見て、作家Xや石原莞爾がなぜあんなものを信仰したのかと勘違ひする人が出てくると困る。
そこで当ホームページでは、昭和四十五年を境に、僧X信仰者の性格が悪くなった実態と、今後僧X信仰者はどうすればよいかを提言することにした。

二月二十三日(日)
幕末から明治にかけての日本は、鎌倉時代の元寇と事情が似る。アジアで植民地にならなかったのは中国、日本、タイだけだ。このうち中国は西洋列強によって虫食ひ状態にされた。このままだと、日本もかうなる。だから僧X信仰には人気があった。
作家Xや石原莞爾が信仰した時代と今は、事情が異なる。そのことをまづ認識する必要がある。
僧Xの教義が広まった時代は、僧Xの時代から天文法華の乱までと、明治維新後の二回だ。それ以外の時代は、幕府による統制で自由に布教ができなかったから、仕方がない。
明治維新後、特に終戦後は自由に布教ができるのに、昭和四十五年を境に布教を完成させる可能性は無くなった。逆に、弱小組織がXX会に対抗するため、カルトで上から云はれたため、組織内で出世のため、自分のご利益のため、と云ふ理由で布教することは、社会に有害だから止めるべきだ。

二月二十四日(月)
西洋野蛮人の始めた産業革命は、幾度の戦争を起こしたあげく、化石燃料の大量消費で、地球は滅亡寸前だ。しかし僧Xの仏道を広めても、これは止まらない。西洋野蛮人が産業革命を始めたのは、X経を信仰するかしないかとは無縁だ。
僧Xの主張は、鎌倉時代の日本、中国、インドのみに当てはまることで、それは産業革命後も昭和四十五年まで続いた。
西洋野蛮人といふ表現について説明すると、私は別に西洋人だから野蛮だとは思ってゐない。どこの国でも野蛮な人は野蛮だし、野蛮でない人は野蛮ではない。ところが日本では、明治維新以降と終戦以降、西洋崇拝がどんどんひどくなった。平衡を取るため、産業革命の害悪に言及するときのみ、この表現を用ゐる。
今後は、西洋が西洋文明を他地域に押し付けるときにも用ゐることになるだらう。西洋化は、産業革命への批判が妨害される。

二月二十五日(火)
XX会は布教のための組織なので、布教完成のときは解散するはずだった。これはXX会だけではなく、X宗、法華宗各派も布教のための宗派なのだから、昭和45年に布教の可能性が無くなった以上は解散すべきだ。
僧Xの教義は、佐渡流罪以前と以後で大きく異なる。前者は、比叡山がX経信仰から密教信仰に変化したことに反対するものだ。後者は僧X独自のものだ。
身延山など多くは前者だ。前者は天台宗に合流し、弱小の天台宗興隆に貢献すべきだ。後者は数が少ないから、古典芸能継承と同じで門流維持に努めるとよい。
XX会については、三つの選択肢がある。
(1)会員の老化で人数が減るから、専従職員を採用せず組織を順次縮小し、会の伝統維持の少数団体になる。
(2)明治維新以降の妻帯世襲寺院に反対する在家運動として、墓地公有化運動の団体とする。
(3)旧本門宗のうちX寺以外の各派を平等に支援することで特定の本山からの影響を防ぐとともに、各派伝統保持に貢献する。
私は(3)がいいと思ふ。これなら(2)と同じやうに社会貢献になる。社会貢献で云へば、安倍を支へることは中止すべきだ。

二月二十七日(木)
XX会の第二代会長戸田城聖さんと第三代会長布教隊長Xさんで、政治の立ち位置に違ひがあるはずはない。戸田さんは生前に新社会主義と語ったが、その内容には触れなかった。布教隊長Xさんは公明党に人間性社会主義を発表させた。
ところが米ソ冷戦が終結すると、政治は政策と文化の両面で考へなくてはならなくなった。文化は民族性と強い相関があるから、一般には文化の代はりに民族主義の度合ひを用ゐる。
欧米では西洋文明は自国の文化だ。しかしそれ以外の地域では、文化を考へなくてはいけない。西洋文明への耐性がないのだから。
西洋文明が入った結果、日本では戊辰戦争に始まり、萩の乱、西南の役、秩父事件、農村の困窮と五一五事件・二二六事件、先の戦争と続いた。そして混乱は今でも続く。戦後はほとんどが自民党政権だったし、世襲が多い。そして世界でも稀に見る会社別労組。
政策と文化のうち文化で測ると、戸田さんは民族派、布教隊長Xさんは欧米派。しかし昭和四十五年までXX会は布教の団体なので布教隊長Xさんは行動隊長で、文化の違ひは問題にならなかった。

二月二十九日(土)
僧Xは戒壇建立を目指したかも知れないし、目指さなかったかも知れない。僧△の門流は、富士山への戒壇建立をご遺命とする。その他の門流は、戒壇建立の古文書は偽書たとする。
田中智学の国柱会は僧△門流の北山本門寺と関係が深いから、富士戒壇説に従ひ三保に最勝閣を築いた。後に湾岸工事で最勝閣を解体するときに、これで日本は罰を受けるだらうとまで落胆した。作家Xが東京の国柱会本部にがらんとした冷たさを感じたのは、このときではないだらうか。
一方のXX会は、戦後に国立戒壇建立を目指し、しかし言論出版妨害事件で、昭和45年に布教を停止した。
僧Xが戒壇建立を目指したとすると、それは伝教大師が比叡山に戒壇建立を目指したことと対応する。伝教大師は大乗戒を保てば、奈良の律宗などの戒は必要ないと考へた。それはそれで信仰に確信した決断で、もし有効に機能するなら立派なことだった。僧Xも、信仰心があれば戒律は必要なく、戒壇は信仰を確認する場とするつもりだったのだらう。
ところが比叡山は、後に三井寺との武力衝突や洛中での強訴などで、伝教大師の期待を裏切った。僧Xの末流も、僧Xの時代は襲撃されても反撃しなかったのに、後には天文法華の乱や他門流への訴訟騒ぎを繰り返すことになった。
僧X信仰者の性格が一部の例外を除き悪いのは、信仰があることを理由に期待した無戒が、正常に機能しないからではないか。

三月一日(日)
伝教大師や僧X聖人は、無戒で戒律を守られた。後世の弟子と在家が守らないのは後世の人たちが悪い。僧X聖人は武力には反攻しなかったが、言論では他宗を批判した。これについては飢饉疫癘などが続発したから、善意と解釈すべきだ。
昭和四十五年にXX会が布教を停止して以来、僧X信仰者のほとんどは性格が悪くなった。だからと言って、当てのない布教をしてはいけない。公明党は、安倍と手を切ることで、かなり性格がよくなる。すべての原因には結果を伴ふためだ。(終)

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