千四百二十 昭和四十五年以降の僧X信仰で、性格が悪くならない例外
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
三月七日(土)
昭和四十五年以降に僧Xを信仰すると、ほとんどは性格が悪くなる。しかし例外があるのでそれを教示したい。
私個人では、桐谷征一さんの講座に出席したので、桐谷さんは性格がよい。
ある都市に在日ミャンマー人のためのパゴダ兼集会所があり、この建設に多大な努力をされた近くのX宗寺院の住職(尼さん)も、性格がよい。と言っても電話で一回お話しをしただけで、訪問する前日に台風が来て中止になり、まだお会ひしたことはない。
私の周囲だけだと対象が狭いので、もっと範囲を広げると、旧本門宗X寺派から顰斥(ひんせき、僧籍除名)になった正信会の僧侶たちは、概して性格がよい。あの当時、XX会はX寺派の信徒団体だった。X寺派に残れば、安定した収入が保証された。それを蹴って顰斥になったのだから、見事だ。X寺派の伝統を今に残すのは、正信会だ。
残念なのは、正信会が分裂した。四十年間に性格が悪くなったのかも知れない。
三月八日(日)
X宗の僧侶は性格が悪くはないが、僧侶の娘は性格が悪い。その理由は宗務院が結婚相談所なんかを作ったからだ。まづ僧侶は、明治維新まで650年間妻帯をしなかったのだから、いづれこれに復帰すべきだ。
しかし今回の主題とは外れるので、この問題には触れない。お寺は信徒とともにあるのだから、嫁は信徒から選ぶべきだ。僧侶の娘は信徒と結婚すべきだ。
僧侶の娘が、将来は僧侶と結婚すると決めた途端に、その娘は世間と断絶した性格の悪い女になってしまふ。どうしてもお寺に住みたいのなら、出家して尼さんになるべきだ。
三月十四日(土)
田中智学は、X寺の教学に出会ひ、すぐに駄目だと悟った。私も田中智学と同意見だが、X寺系や正信会系末寺の信徒を十数年続けたのは、これらがXX会と同門だからだった。
日本の仏道は、寺請け制度で維持されたもので、社会の混乱や自殺率低下に役立たない。そこで信徒数が一番多いXX会を正しい方向に影響を与へるため、同門に留まった。
しかしXX会が出て行った今となっては、X寺系に存在意義はない。一番いいのは旧本門宗八本山の一つに戻ることだ。XX会は、縮小再生産を続けて、牧口戸田両氏の顕彰組織になるとよい。今のままだと、安倍与党など社会への害悪が大きい。
XX会は昭和四十五年までは、存在意義があった。それ以降は余生だ。戸田さんは、行動隊長として布教隊長Xさんに後を頼んだかも知れない(別の意見もあり、石田次男さんを後継に考へたと公明党の元区会議員が言ってゐた)。少なくとも、昭和四十五年以降の独自路線を布教隊長Xさんに託してはゐない。
余談だが、昭和五十年代のベトナム戦争終結の直後くらいまで、世界が共産主義にならなくては地球は滅びると考へた。当時のベトナムや中国には、農業を中心とした泥臭さがあった。欧米列強に対抗するため、民族解放も掲げた。これは人心安定に役立つ。西洋猿真似の結果、人心が不安定になった日本を見よ。
共産主義の唯物論は、スターリンの粛清や文化大革命、ポルポトを生み、変な思想だ。しかし資本主義こそ唯物論で、これは地球を破壊する。
共産主義の唯物論は変だが、資本主義の唯物論は更に変で地球を滅ぼすから、唯一の対抗勢力である共産主義にがんばってもらふしかなかった。X寺系に所属したのも同じ発想だった。戸田さんは、将来は会員に共産党の議員も出てくるとしたから、私の発想は戸田さんに近い。
三月十五日(日)
X宗は、大きくなり過ぎた。明治維新以前は身延、池上、中山、鎌倉、京都など分流してゐたのだから、別れるのが伝統だ。しかし天台宗に合流するのが一番良い。
X宗で唯一汚濁しないのが、荒行だった。ところが、いじめや死者が出る騒ぎもあり、今では地に落ちた。
X宗以外の僧X法華系各宗派は、小さな存在だから、このまま存続するのがよい。
三月十九日(木)
昭和四十五(1970)年以降に僧Xを信仰すると、確実に性格が悪くなる。しかしそれでは熱心に信仰する人たちが救はれないので、例外を示すことで例外に入ってほしいと思ふ。
もはや僧Xを広めることは不可能だ。しかし門流の伝承、社会への貢献など意義を探すことのできる人は、例外に入ることができる。(終)
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