百四十、石原莞爾(その五)西洋文明からの独立

十一月十七日(水)「すべての国民が教師に」
小ホームページでは、すべての国民が教師にならなくてはいけないと以前から考えていた。石原莞爾も同じことを言っている。
・人間の能力を発揮するために教育が一番大切であります。しかし今までは、学校即ち教育と思っておりましたが、これは今日以後はいけません。社会全部即教育でなければいけない。

この共通性は西洋文明から独立するという根本が同じだからである。石原は更に次のように述べる。
・中学校以上に入った連中は大体利己主義者だ。如何に素質のいい人間でも、中学校の入学試験で、親と国民学校の先生から挟み撃ちを食って、個人主義、利己主義の猛訓練をやられる。
・安く多くの者に学校教育を受けさせる資本主義的経営の学校によって、生徒から搾取しよう利潤を取ろうという学校営業という営業者が出来て、(中略)お客さんと商売人の間です。
・だらしがなく、しかも勤労しない学校教育の結果、(中略)農学士は百姓では飯が食えない人が多いのであります。この間或る工業技術員の養成所でこの話をいたしますと、そこにいる指導員が真赤な顔して、それは工学士も本当のことを言えば腕では飯が食えず、学歴で飯を食っておるのですとの話でした。これが今日の大きな欠陥である。

・西洋物質文明の中毒によって、就学は学校卒業が目標で、人格・技倆の修養等は何時の間にやら第二義以下となった。
・この厖大な就学希望に対し、(中略)営利を目的とする私立学校は勿論、官立学校も(中略)権力者の郷里等に無計画に作られた。
・学校教育を受けた人ほど、ややもすれば人格低く、非社会的、非国家的となったのはけだし当然である。


十一月十八日(木)「医師制度の改革」
小ホームページは四年ほど前に医師制度は改革すべきだと主張したことがある。現在の医師制度は西洋の猿真似である。看護師にも診察や治療を認め、すべての医師は看護師から昇格するようにすべきである。石原もこの問題に次のように述べている。
・医師法も元来は不正医師を禁止して国民を保護するを目的としたものが、何時の間にやら医師の自衛手段に利用せらるるに至った。
・病人の看護に特別な興味をもつ人はある率で必ず居る。そういう人を医療にたずさわらせる時は極めて速かに上達するし、必要な医学も喜んで勉強すること請合いである。


十一月十九日(金)「弁護士、大学教授」
あと西洋の猿真似で駄目な連中に弁護士と大学教授がいる。或る程度の法律知識があれば弁護士試験に合格させるべきだ。あとはまず法律事務所に勤務して努力次第で昇進させればよい。大学教授も同じだ。理工系はまだしも社会科学系は世の中の役に立っていない。
欧米のこれら身分が日本に導入されるや、大挙してこれらを目指す連中が出てきた。ここでこれら西洋から輸入された身分の最たるものが将校と官僚であった。石原は次のように述べている。
・官界などでも若い人は使ふけれども、少し古くなるとすぐ追出してしまふといふ有様で、労働力の不足といふ今日の時勢に労働の出来ない失業者が多数にあることは可笑しなことである。これ等日本内地に於けるインテリ失業群、及び毎年過剰生産される学校卒業者を合すれば、頗る大量なインテリ群となるわけで、(中略)内地で余れば台湾にも行き、台湾が飽和すれば朝鮮に行き、朝鮮飽和すれば満洲に行く、この頃は支那にも行くといふ状態であって,外地の何処へ行っても巡査、教員、官吏、会社員、鉄道員等はいづれも日系の人々で充満してゐるのである。
・(敗戦の七日後に)国内問題としては、アメリカが上陸する前に(中略)武装解除すべきであります。次に軍閥打倒であります。(中略)政治を取る能力のない若い将校までのさばって威張り出していたのであります。

(中略)次は官僚政治打倒であります。日本は歴史初って以来、今日のような道徳の低迷した事はないのであります。軍・官僚は公然と賄賂をとり、とらないものが無いくらいであったのであります。

十一月二十一日(日)「渡部昇一氏とドイツ参謀本部」
戦前の西洋猿真似身分で最悪ともいうべき将校について考えてみよう。渡部昇一氏の著書「ドイツ参謀本部」は、ドイツ参謀総長モルトケと宰相ビスマルクの役割を論じた後で、結論としてスタッフは育てられるがリーダーを育てるのは難しいとしている。しかし欧米の軍事制度はアジアに合わないという観点から見ると、渡部氏の結論は正しくないことになる。
軍事と外交は一体である。しかし一般人は人事異動で将校になれないから、両方できるのは将校のみとなる。そして特権階級化する。まず将校下士官兵の区別をやめるべきだ。階級は戦場で混乱しているときに便利なだけだ。だから大佐だとか少尉といった階級はやめて甲7番だとか乙12番と番号をつけるべきだ。戦場で混乱したときは番号の上の者が指揮をとる。そうすれば大将だ中将だと威張る人間もなくなる。今まで経理をやっていた事務員が突然大佐になったら変だが乙11番になっても少しも変ではない。
将校はオリンピック選手養成所ではないから、体力のある人や高圧的な性格ばかり集めなくてもよい。ネクラでも陰気でも無口でもかまわない。

そうすれば軍事と外交は一体となる。最初から将校として採用するのもよくない。兵のなかから優秀な人を将校にすべきだった。そもそも兵と将校を区別すること自体意味がない。そうすればリーダーが育たないことはない。

十一月二十二日(月)「アジアの軍制を」
金ぴかの軍服を着て階級章を付け勲章を多量にぶら下げる姿に、欧米人の浅はかさと残酷さが凝縮されている。アジアはああいうものを真似してはいけない。
中国では人民解放軍の階級を廃止したことがあった。その後ベトナムとの紛争が芳しくなかったためか階級を復活した。中国とベトナムと日本とその他のアジアの国々が集まっあるべき軍制を研究したらよい。
軍制だけではない。国連は欧米の支配が強すぎる。アジアだけで国連とは独立した組織を作るべきだ。

十一月二十三日(火)「覇道の西洋、道徳のアジア」
西洋は覇道、アジアは道徳というのは事実である。西洋は世界を植民地にしたからである。しかし明治維新後の日本は西洋のまねを始めてしまった。

・近時の日本人は全力を傾注して西洋文明を学び取り摂取し、既に其の能力を示した。然し反面西洋覇道文明の影響甚だしく、今日の日本知識人は西洋人以上に功利主義に趨り、日本固有の道徳を放棄し、而も西洋の社会道徳の体得すらも無く道徳的に最も危険なる状態にあるのではないか。世界各国、特に兄弟たるべき東亜の諸民族からも蛇蝎の如く嫌はれて居るのは必ずしも彼らの誤解の為めのみではない。是は日本民族の大反省を要すべき問題であり、東亜大同を目標とすべき昭和維新の為め宜しく此の混乱を整理して新しき道徳の確立が最も肝要である。
・徳川時代には仏教の代わりに儒教が用いられて、それが国民の道徳を支配したのであるが明治維新以後、全くの無宗教となった日本人は道徳の基礎がなく、人が見ていなければどんな事でもする驚くべき人間になりさがった。(中略)西洋人は事実はともかく、表面だけでも宗教を信じているような顔をしている。
・東洋人のなかで支那人が一番文化が高く、日本が一番ひくい。しかし、東洋人は文化の高い民族だった。
・先般行はれた東京地方に於ける防空演習の際、下町方面の連中は非常な意気込で商売まで休んでやつたが、山の手方面のインテリは冷淡で中々ちゃんとやらないといふ。これはインテリの多くが個人主義者であるからである。
このインテリの個人主義たる原因は、現在の教育制度に内在するのであるから、学生が学校生活をなすにつれ、必然に個人主義者とならざるを得ないことになる。
・日本人が真に道徳を守ること。朝鮮、満洲、必ずしも良く行つて居ない。今日満洲が張政権時代よりも食糧問題で困難してゐるのは日本人が支那人からの信用を完全に失つたからである。
・日本民族は余りにも朝鮮民族を軽蔑してはいないか。(中略)都合の良い時ばかり彼等を日本民族とし、悪い時は朝鮮民族といって馬鹿にする。


十一月二十四日(水)「西洋の真似が国を亡ぼした」
日本はアメリカに敗戦したと多くの日本人は思っている。しかし日本がアジアの道徳を破棄し西洋の猿真似をしたことが敗因である。アジアの各民族の信頼を失ったことが敗因である。信頼を失わなければ、アメリカに反撃の方法もあったし停戦の方法もあったし、そもそも戦争は起きなかった。
先の戦争はアメリカに負けたと間違った解釈をするから、相変わらずアジア各国を馬鹿にしたり日本は欧米先進国の一員だと言ってみたり、アメリカの属領のような態度を取るようになる。


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