千二百五十一 1.年末年始の我が家、2.話し方教室
平成三十戊戌
十二月二十九日(土)再びスエヒロ館
下の子が自動車で二十七日に帰省した。私と妻の仕事は二十八日までだった。
本日は朝に下の子の運転でドイトまで行き、我が家の洗面所の床補修材と電気の修理品を購入した。
上の子がお墓参りに寄った。母は歩くのが不自由なので弁当を購入して自宅で夕食を取り、我々四人は先月に続き再度、スエヒロ館に行った。
私は、前回スエヒロ館だったからと銚子丸を主張したが、冷たいより暖かい食べ物がと妻が云ふので、それに決まった。上の子は今回が初めてと云ふ理由もあった。
私は和風おろしハンバーグ(税抜1480円、ご飯お替り自由、サラダブレッドバー付き)を注文した。二人の子もほぼ同じ値段だったが、妻はステーキなので少し高かった。ドリンクバーは注文しなかった。
お酒も注文しなかった。二人の子がお酒をあまり飲まないのは良いことだ。2人の子には私からも、年齢とともに飲む量が増えるから若いときはあまり飲まないやう注意してゐる。私は家を出発前に、焼酎をたくさんの水で薄めたもの(アルコール3%程度)を四杯飲んだ。
前回は、ご飯がお替り自由、サラダブレッドバー付きを知らなかったので、ご飯はラージを注文した。今回はスモールにして、パンのなかでも健康に良ささうなものを二つ食べた。大きさは小さいので二つで丁度よく、それぞれバターを付けた。
混んだためか、肉類が来るのに時間が掛ったので、その間にサラダと果物を食べた。果物を最後に食べるのは、西洋人のやり方だ。私は最後に、小型パンを二つ食べた。

十二月三十日(日)墓参り往路
上の子は動物関係のバイトに行った。母を含む四名でお墓参りに行った。母は電車で行くのは既に不可能だ。下の子の自動車で四十六年前まで住んだ根津に寄り、藍染大通りに駐車した。そして芋甚でたいこ焼きを買って車内で食べた。
ここまでの経路は、国道十七号、西が丘、飛鳥山、上富士前を左折した。私は千駄木駅の手前で右を指さし、大平さんが住んでゐたのはこの辺りだね、と言った。言問ひ通りを東に向かひ、お墓参りをした。
以上の経路は、父が二十年前に亡くなったとき、霊きゅう車の走った道とほぼ同じだ。あのときは二又を左側に行って田端の高台を回ったが、今回は根津に寄るため右側の霜降橋経由で行った。
あと今回は国道17号を千石で左折する予定だったが、左側車線を走ったら前方に車が駐車中だ。その手前を左に曲がって霊きゅう車の経路に合流した。

十二月三十日(日)その二往路の観光説明(紫色の部分は話し方教室)
途中で何か所か観光バスのガイドみたいに説明をした。西が丘サッカー場は天皇杯が行はれたこともある、姥が橋はかつてラヂオの交通情報で大原交差点などと並ぶ四か所くらいの渋滞交差点だった、王子神社は落語「王子の狐」の舞台、この先で都電が並走する話、飛鳥山は桜の名所だと云はず単に公園名に留めた。道灌山は太田道灌のヤマブキの里の場所に諸説あるがここもその一つ、根津の芋甚は名前の云はれと、父の葬儀に芋甚の先代の店主が来たことと今の店主は私が小さいときよく遊んだこと、言問通りは在原業平の和歌に因むことを話した。
解説は1か所に10秒。短く説明しなくてはいけない。王子近辺は三つ重なったので、飛鳥山は公園名に留めた。二つの和歌は中身にも言及した。道灌山は「七重八重花は咲けども山吹の」までしか云はなかった。これは10秒に収めるためだ。暫くして母が「実のひとつだになきぞ悲しき」だっけ?と下の句を言ったので、農家に蓑が無いことを道管に云った、とだけ解説した。これも10秒だ。
在原業平の和歌も「名にし負はばいざ言問はむ都鳥」までしか云はなかった。これは10秒が理由ではなく、下の句は男女のどろどろした感情だからだ。話は誰もが簡単に楽しめる内容にしなくてはいけない。今回は誰も下の句を云はなかった。もし言った場合は、昔のトロリーバス、今の都バスで言問橋の次は業平橋だった話をすればよい。
瞬時にそんなにたくさんを考へられないと心配する必要はない。お客さんとの会話、会議での発言、同僚との雑談など何でもよい。終ったあとで、発言に改善する所があったかを考へる。すべての発言でなくてよい。一日に二つや三つでもよい。気付いたら検証作業は終りにする。気付いたことをメモ書きに、なんて考へると長続きしない。毎日繰り返すと、話す能力は向上するし、瞬時に対応できるやうになる。

十二月三十日(日)その三墓参り復路
帰りは、スマホのカーナビに従った。竹台高校、舎人ライナーの下の道路、明治通り、北本通り、八環(七環、八環と云ふ言ひ方も昭和四十年代はあった)、浮間公園、中山道で帰宅した。
舎人ライナーは10年前に完成、宮地ロータリーは往路の姥が橋と同じで交通情報の常連だった、(妻が通勤時に上野東京ラインに乗るので)尾久駅がすぐそこにあることを説明し、質問「ほとんど乗降客がゐないので新しい駅か」と訊かれたので、昔からあるが東北線高崎線は以前は本数が少なかったことを回答し、梶原の手前で都電との交差があることを予告し、浮間公園は春になると埼京線の窓から桜が一面に見えることを説明した。
西日暮里では田端大橋を渡ることを予想したが外れ、明治通りでは新荒川大橋を渡ることを良そうしたが外れた。どちらも環八通りが四車線で開通したことを知らなかったため、カーナビのほうが私より賢かった。

十二月三十日(日)その四カッパ寿司
お墓を出たときに、お昼は上野で食べる予定だったが、一通(一方通行を一通の云ふことを初めて知った)があったりして、途中で食べることになった。結局は自宅近くのかっぱ寿司で食べた。回転部分が二階建てで、下は回転だが食材を無駄にしないため、食材名を書いた旗を立てた皿が回るだけだ。端末から注文すると上の車線で送られて停車する。私は感心するばかりだった。
私は六皿くらいと茶碗蒸し、アサリの味噌汁を食べた。四人で3500円くらい。皿は四人の食べたものはすべて108円、茶碗蒸しとアサリの味噌汁が180円。母がそれほど食べなかったとは云へ、一人900円弱だから手頃だ。繁盛するのも当然だ。

十二月三十一日(月)本日は自由行動
本日は皆が自由に行動した。私は午後に池袋、西川口へ行った。ここ数日で、皆が協力して台所権居間の引き戸の戸車、風呂場洗面所の電気関係と引き戸の戸車、二階のコンセント周りを直した。あと洗面所の床が残ったが、これは年が明けてからだ。
戸車は溝が摩耗して深くなり、扉が床に接触するため重かった。少しづつ摩耗するので今まで気付かなかったが、交換したところ軽快になった。

一月一日(火)アウトレット
本日は母を除く四名で入間アウトレットに行った。往路は羽根倉橋経由、帰路は幸魂橋経由だった。下の子のスマホはカーナビのアプリが入れてあり、これは便利だ。ただし運転者が道路名を覚へない欠点がある。私が「254、川越街道経由かな」「外環経由かな」と話しても、運転者は判らない。
往路で気付いたことは、浦和所沢線かと思った道路が後に出来たバイパスで本道になり、しかも国道になった。なぜ埼大の正門が隣接するのか不思議だったが、家に帰って調べてバイパスなのかと納得した。羽根倉橋の前方の真っ白な富士山はきれいだった。アウトレット手前で車の行列になった。アウトレットとは別の場所への行列が長く、帰宅後に地図で調べたがゴルフ場だらうか。或いはアウトレットの入口が2つあるのかも知れない。
私はブランド物に興味がないから、行っても退屈ではないかと出発前に妻が云ふ。だから本を一冊かばんに入れた。アメリカではアウトレットに行ったが二十五年前だし、日本のアウトレットは初めてだ。だからどんな形態なのか見る目的もあった。
丁度12時になった。P2立体駐車場からの橋を渡り1時半集合で解散した。私はすべての店の前を外から歩き、バス停にも行ってみて散策が終了した。あと45分あるので屋外ストーブのある円形のベンチで本を読んだ。集合10余分前にLine我来てゐないことを確認し、車の前に行った。しかし誰もゐない。Lineを調べるとスマホを忘れ、それは見つかったがそのため1時間延長すると云ふ。今度はタクシー乗り場をみたあと、再び円形ベンチで本を読んだ。
私のスマホが鳴り電話が掛かってきた。下の子が私に合ふ靴を見つけたと云ふ。私はブランド物には興味はないのだが、せっかくの好意を辞退し難く、店員に同じ型で合ふサイズを出してもらひ、購入した。
その後も妻などの買ひ物は続き、私はお腹が空いたので屋外のタイ焼き屋を見ると300円で高い。フードコーナー1階のファミリーマートで125円(税込み)のウィンナーパンを食べた。
3時半過ぎに会場を出て、途中のガストで遅い昼食を食べて、しかしあまり食べると夕食が食べられなくなるので、私はチキンと焼き野菜のキーマカレー(税抜699円)に留めた。

一月二日(水)木馬亭
上の子はバイトに行った。下の子は高校の友達に会ひに車で出掛けた。私は木馬亭に浪曲を聴きに行った。二十分ほど早く着いたので、まるごとにっぽんと云ふビルに入ってみた。過去にこの前を何回か歩いたことがあるのだが、入るのは初めてだ。二階以上にも行ってみて、公共施設かなと思った。これは感じのよい施設だ。家に帰って民間施設だと知って驚くとともに称賛の気持ちでいっぱいになった。
帰りは、人混みを避けながら賑やかな道を取捨選択し、西参道、伝法院通り、仲見世の裏側、雷門通り、二天門通りの途中で引き返した。このまま言問通りに出てもバスしかないからだ。浅草文化観光センターに入り1階と2階に行っただけで何もせず、雷門通り、国際通りで田原町に出て地下鉄で帰った。
定期券があるため、往路は新宿で東京メトロに、復路は赤羽岩淵でJRに乗り換へた。上野経由40分に対して、新宿経由は70分、赤羽岩淵経由は80分。首都圏の鉄道は全社共通運賃を適用し、乗車人員キロに応じて各社に分配すべきだ。首都圏の鉄道は大儲けなのだから、このくらいはすべきだ。赤羽岩淵駅で地上に出ると、外は暗かった。

一月三日(木)ホームページ作り
本日は、上の子がアルバイト、下の子は高校の友達と車で初詣、私は(モリカケ疑獄百七十六)に一日分追加したのと、浪曲鑑賞記(1.多くの人が浪曲を聽かう、2.木馬亭、浪曲協會に意見が二つある)を作るのに午後二時まで掛かった。
メモを取らなかったので、鑑賞した内容を思ひ出すのと、記憶が蘇らない部分はインターネットで調べるのに時間が掛かった。
作り終へてからインターネットのニュースを見ると、箱根駅伝が終ってゐた。昨年はスポーツ界に醜聞が多く、私はオリンピック、大相撲を筆頭にすべてのスポーツを見ないことにした。スポーツは心身の健康に寄与するものでなくてはいけない。成績に拘り精神を堕落させ、肉体も呼称させるスポーツは体育ではなく体悪だ。
下の子は夕方四時に帰宅の予定だったが七時に延びた。箱根駅伝が通ったので見たあと川崎大師に行って遅くなったさうだ。そのまま部屋から荷物を積んで学生寮へと向かった。私と妻は明日から仕事が始まる。今年の年末年始は充実のうちに終る。(終)

追記一月四日(金)祖母の話
母から祖母(母の母)の話を聞いたので記録しておくと、祖母は信州東筑摩郡里山辺村御母家の出身で、生家は製糸業を営み、女工を三十人から五十人雇ったさうだ。
この話が出たのは、味噌汁を作るときに鰹節を入れるよりだしの素を入れたほうがおいしくなる話から、松本の祖父母の家は味噌汁がおいしかったが、だしの素を入れることが理由だった話になった。祖母は共同温泉(銭湯)で情報を仕入れるからだしの素を知ったのではないか、更に古くは製糸業で多人数の料理を作るから料理が上手になったと云ふ話が出た。
製糸業と云へば、野麦峠が有名だ。総評元事務局長の岩井章さんは松本出身で妹さんが女工で病没した。製糸業には複雑な思ひがする。

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