千八十五 佼成図書館訪問記
平成三十戊戌
一月二十八日(日)
二十五日は休暇を取り、佼成図書館に行った。六か月定期券を西新宿ではなく、差額自己負担で一駅先の中野坂上までにしたのは、昼食を100円ローソンか坂上バーガーで購入するほか、佼成図書館に行く目的もあった。実際には六ヶ月間で一回しか行く機会はなかったが。
今回の定期券は西新宿までだ。しかし地図を精査すると中野坂上からと比べて400m延びるだけだ。理由は青梅街道が北西に進むためで、西新宿から真西に進めば一駅分よりはるかに近い。と云ふことでヒルトピアの地下商店街を出たあと歩道橋を渡り、りそな銀行手前の路地を西進し、成願寺の南を左折し山手通りを少し南下、そののち右折し中野富士見町に向かった。
りそな銀行手前から山手通りまでは雪が残存し歩行に注意が必要だった。昼食を購入予定の一〇〇円ローソンは二月初めまで更新工事中だった。その先のスーパーも更新工事中だがそもそも開店時刻前だ。新築工事中の京王バス先のドラッグストアで何とか昼食を購入した。

一月二十八日(日)その二
今回の訪問目的に、二か月ほど前から日蓮系に性格の悪い人が多いと感じ始めたその理由を探ることがある。日蓮系に性格の悪い人が多い理由ではなく、性格の悪い人が多いと私が感じ始めた理由である。
仮説は既にある。私の佼成図書館に通ふ頻度が激減したため、日蓮系に疎遠になったと云ふものだ。

佼成図書館に着くと、まづ二つの新聞、「継命」と「創価新報」を昨年九月から読んだ。「継命」の記事はほとんどが良質だが、正信会議長の僧侶の挨拶に気になるところが二か所あった。どちらも根源は同じで、まづ寺院や家庭に安置された本尊に書かれた「書写之」の之とは戒壇の本尊、二つ目は宗教法人正信会に行った僧侶への批判だ。
すべての本尊は戒壇の本尊の写しだとするのは大石寺の昔からの伝統教義だ。しかし布教を目指すには、この教義では駄目だ。日蓮系全寺院6300ヶ寺のうち日興の門流は254ヶ寺。このうち大石寺は61ヶ寺。創価学会の出現で658ヶ寺まで増えたものの、そんな少数派だから戒壇本尊と貫首血脈論が存続できた。
もし本当に広宣流布を目指すならこの二つは放棄しなくてはいけない。貫首血脈論について云へば、なぜ六老僧を選定したのかと、六人のうち五人は日興に従はなかった上に、日興の弟子孫弟子も次々に分流した歴史を考へれば貫首血脈論が正しいはずがない。
ましてや戒壇本尊後期製作説は阿部信雄さん(当時は教学部長)が非公式に認めてしまったし、今では写真を見れば明らかだ。血脈が細井日達さんで切れたのも明らかだ。これらを考へれば教義の再構築を目指す宗教法人正信会派は正しい。とは云へそれらは宗門問題が解決したあとですべきことで、今は阿部官長前の教義を維持する正信会派の主張も理解できる。

一月二十九日(月)
次に単行本で、西洋の古代哲学から仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、東洋の儒教、道教、近代の思想までを書いたものを読んだ。古代哲学は興味深く読み、これは良質の本だから当ホームページでも紹介しようと一旦は考へたが、後半でマルクスを感情的に攻撃した。
読者は過去から現代までの思想を客観的に知りたいのであって、著者の感情的な批判を読みたくはない。と云ふことでこの本には二時間ほど掛けたが、紹介せず素通りすることにした。

一月三十日(火)
次に昭和35年の聖教新聞縮小版を半分読んだところで時間切れになった。国会図書館の聖教新聞は欠号があり、この年の前が数年抜けてゐる。昭和35年は欠号だったと思ふ。
前年の末に細井日達さんが管長になり、この年から早々と本山で僧侶養成が始まった。当時55歳くらいだった総監の柿沼広澄さんと、当時35歳くらいだった創価学会理事の北條浩さんが、今後は改革を進めると語る。伝統破壊は創価学会ではなく宗門が原因だった。
伝統を破壊することで布教が進むならよい。伝統を破壊することで布教は停止した。最大の伝統破壊は官長の新興宗教教祖化だった。

一月三十一日(水)
広宣流布(布教完成)のときにどういふ形態になるかは判らないといふ青年部幹部の発言が載る。この当時から国立戒壇は確定ではなかったから、日達さんが教義を曲げたとする元妙信講(現、顕正会)の主張は必ずしも正しくない。それより日達さんは昭和40年代後半の時点で既に広宣流布が達成されたとするが、これは完全な過ちなのでこれを批判したほうがよい。
理事長の小泉さんの次に総務の池田さんが載り、この段階で池田さんの会長就任は確定事項だ。読んだときはさう思ったが、国会図書館になぜこの前の数年が抜けてゐるのか気になる。戸田さんが無くなったあと、総務を任命した経緯、その前後における池田さんの活動内容、前官長堀米日淳さんの発言など、日本最大の活動会員数となった創価学会の活動を第三者が記録することは、日本の宗教史にとって重要だ。
前回か前々回に佼成図書館で読んだ日蓮宗新聞に、昭和47年あたりに会員数が頭打ちになったとする日蓮宗の宗務総監片山日幹さんの発言があった。これも貴重な情報だ。

二月四日(日)
私は宗教の軸足を、日蓮から上座部に移して二十年以上が経過する。だからといって日本に上座部を広めようとするのではなく、日本の大乗仏教を上座部の刺激で恢復させようとするものだった。その間に、宮澤賢治を調べたり、或いは石原莞爾を最初は批判的に調べたところその主張が正しいことに驚愕し。そのため軸足を日蓮系に戻したこともあった。
日蓮の仏教は飢饉疫癘元寇など、世の中が混乱したとき用だ。明治維新後は世界中のほとんどが植民地にされた時代だったし、戦後の混乱期にも流行したのは道理だった。
翻って現在は混乱期ではない。私は地球温暖化で滅亡寸前だから混乱期だと思ふのだが、日蓮関係者でそのことを云ふ人はゐない。だとすれば将来の混乱期に備へて内部充実を図るべきだ。具体的には国民に受け入れられる教義に戻すべきだ。布教はしてはいけない。来る人は拒まず受け入れるべきだ。布教をすると受け入れられない教義に気付かない。
日蓮系に性格の悪い人が多いことに言及せず、何とか解決法をまとめてみた。(完)

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