千九十 NHKの番組を久しぶりに称賛(山折哲夫さん出演)
平成三十戊戌
二月十二日(月)
私はこれまで山折哲雄さんにそれほどよい印象は持ってこなかった。それは三十年くらい前だらうか、どこの放送局だったか忘れたが(NHKではないかも知れない。当時のNHKは今みたいにひどくはなかった)山折哲雄さんの話を聴きたいと云ふ視聴者の映像を放送したあとに山折さんが出演した。しかし意味のある話がなかった。私も三十歳代だったから、私の技量不足かとも少し思った。
宗教学者(文学者で作家Xについて本を出版した男を含む)にはろくな人間がゐない。しかし過去にはゐた。ゐないと感じたのは三人を見てのことで、過去にゐたと感じたのは中村元さんのことだ。中村さんは仏教徒として立派だった。山折さんは中村さんとろくでもない三人との中間とずっと思ってきた。
今回NHKを見て、対話の相手のディレクターが顔を出さない。これは100ポイントで偉い。あと山折さんの中間の発言がまともで、これは50ポイント。前半の発言はNHKの制作が原因でこれはマイナス20ポイント。山折さんの終了部分の発言はマイナス30ポイント。
総合は100点満点で100点だからパーフェクトだ。今回NHKを久しぶりに称賛することになった。
二月十四日(水)
NHKの「こころの時代」は最近劣悪な番組が続いた。まづ「“ブッダ最後の旅”に学ぶ」で経典を哀れな声で読む。あの声は仏教徒ばかりかXX教徒、イスラム教徒、すべての視聴者にとって不愉快だ。耳障りな声で読んではいけない。どんな場合でも声は相手に心地よくあるべきだ。
次に経典はブッダの言葉を編集したものだ。だからブッダの声そのものではない。あんな変な声で読んではいけない。
二番目にNHKはアジアの西洋化を企んではいけないで指摘したが、一月二十八日の「こころの時代」はひどい番組だった。アナウンサー崩れの解説委員、ディレクター(或いはプロデューサだったか?)を自称する女が、「Really?」と甲高い声で相槌を打ち、能力以上の出演内容だったため緊張したのか手をやたらと動かして、これだけでも失格だった。それ以上に悪いのは、内容が何もなく西洋崇拝だけだった。
アナウンサーはアナウンサーに徹するべきで、解説委員になったりディレクターになってはいけない典型だった。
二月十五日(木)
山折さんのよいところは、常識ある解釈をすることだ。歎異抄の悪人正機について、古来いろいろな解釈が為されてきた。しかしあれは深い意味はないと思ふ。とかく後世の人は一字一句を解釈するから宗派の争ひになる。山折さんも歎異抄は、対話の中で、迷ひの中で自問自答と解釈された。これ以外に次の話があった。私のメモ書きによると
非僧非俗の非僧は僧侶批判。持戒破戒の苦悩。
一遍。物狂ひ、紙が取り付く。(山折さんは狂ふを悪くない意味に使った)。その前は空也。
地獄一定と自然法は矛盾しない。
街中を早朝歩くと、皆が家の前を掃除してゐる。小さな祠があちこちにある。
西行は非僧非俗を親鸞の数十年前に行った。それを進めると芭蕉に。芸術と宗教は同じ。
死ぬことは怖くはないですか、の質問に若いときは怖かった。知識の重み、人間を苦しめる。一握り散骨、大地に戻す。
無。無常、無限、無限大、無心。
以上のお話があった。今回は「ひとりゆく思想」と云ふ題が付き、最後のお話はよかった。空ではなく無から、無限大など無数の空間が広がるのだと教へてくれた。(完)
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