千六十四(そのニ) (以上のうち築地本願寺を抜き出し)
平成二十九丁酉年
十二月十日(日)
築地本願寺に行くのは久しぶりだ。境内に入って驚いた。左側に納骨堂とインフォメーションセンターが建築された。インフォメーションセンターには書籍などの売店、喫茶室、総合相談窓口、みずほ銀行のATM、小ホールが入る。
ここで一つ注文がある。喫茶室でジャズを流すのは止めたほうがよい。喫茶室には参詣帰り、法事の帰りの人も来る。そこでジャズは合はない。
そればかりではない。観光で来た人も、お寺でジャズでは変な感想を持つだらう。筝曲、邦楽、最大限譲歩してクラシック。それより宗歌などを流したらどうか。
インフォメーションセンターは本堂、伝道会館と調和し美しい。境内右側には石碑、親鸞聖人像が移転した。ここも宗教的な雰囲気で美しい。

建物を周囲と調和させることは、昭和60年辺りまでは考慮されなかった。個々の建物が美しければよいとの考へだ。その失敗例が日蓮系の富士五山の一つ大石寺の総坊、正本堂だ。大石寺に法主が一人だけ(通常は前法主が居る)になってしまひ、しかも信徒団体の創価学会が急膨張したため、法主が伝統的役割を逸脱して新興宗教の教祖みたいになってしまった。そして法主の娘婿の設計士によって総坊と正本堂が建てられた。
その後、大石寺と創価学会は喧嘩別れし、総坊、正本堂のほか大客殿まで解体し建て直した。私は二つの団体のどちらかを偏って応援したりはしないから総坊と正本堂の建て替へには、特に感想はない。しかし大客殿は伝統に沿った建物なのに壊したのは惜しい。因みに壊した理由は願主が池田大作氏だからだ。

そのやうなことがあり、その後に建てられた寺院建築は、例へば曹洞宗大本山総持寺の三松閣など周囲との調和を考へるやうになった。築地本願寺のインフォメーションセンターは、周囲と調和した立派なものだ。

十二月十日(日)その二
築地本願寺の建築を見て、最初は驚く人が多いはずだ。日本の伝統的な寺院とは大きく異なる。しかしインドの古式の寺院様式と云ふ説明を聞いて、納得する人が多いことだらう。そればかりではない。たくさんの人が集まっても、少数が法要を受けてもきちんと機能する。現代と調和した立派なものだ。
今までの伝統を通り越して古いものに戻すことは原理主義であり、99%が失敗する。明治維新の廃仏毀釈などがその典型だ。築地本願寺がうまく調和したのは古代のインドを模範としながらもそれが外観のみで、堂内は伝統重視(内陣、仏壇、両脇の余間)、機能重視(信徒は椅子席)が調和してゐる。
このやうに改革ができたのは、門主の尽力に違ひない。合議制だと反対が多く、従来の形式に落ち着いただらう。その一方で門主がシルクロード探検隊など莫大な出費で財政危機に陥り、引退に追ひ込まれたことを築地本願寺に掲示された年表で見たことがある。インターネットで調べると、引退に追ひ込まれた後は、総局は総長が代表役員、西本願寺は執行長が代表役員だ。総長や執行長は門主の指名する2名または3名のなかから宗会、本願寺評議会が選挙するから、うまく機能してゐるに違ひない。

築地本願寺によく参詣した時期に、本願寺築地別院を本願寺直轄寺院築地本願寺に財産分与した広告が張り出されてゐたのを見た。分離して4年が経過した。

十二月十日(日)その三
久しぶりに常例布教も聴聞した。最後まで聞くと実によい法話だったが、最初からさう思った訳ではない。布教使だけあって、間の取り方など話術は上手だ。しかし途中で一時期、話の内容がよくないのではないかと感じた。その理由はエピソードだった。檀家でこんなことを云った人がゐた、息子の大学の友人の父親にこんなことがあった。そんな話が長く続いた。
しかし法話が終ってみると全体ではよい内容だったし、エピソードは全体を盛り上げるものだった。一時間半でエピソード無しで話すのは大変だ。その点、大石寺系の僧侶はエピソード無しで話をするのが上手だ。その理由は創価学会の会員が熱心に布教活動をするから上手に話さざるを得なかったためだが、法話に御書(日蓮の著書)を必ず読んだ。御書の字句、内容を解説するとエピソードを話すのと同じ時間を経過する。
私がエピソードを好きではない理由は、たくさんの中の一つの事例だからだ。違ふ例はたくさんある中で、たまたまかういふ事例だった。それを聴いてもあまり役に立たない。
今回の常例布教がよかったのは、三つの願ひの話が全体を流れた。願ふ人の願ひ、願はれる人の願ひ、そして全体を授ける人の願ひ。最後まで聴いてみると、実によい話だ。

十二月十日(日)その四
数年前、或る経営コンサルタント会社の社長が浄土真宗本願寺派の僧侶の資格を持ち、その人が築地本願寺の寺務長になった経済雑誌の記事を前に読んだことがある。仏教文化講座の始まる前に、賽銭箱の横で参拝者の賽銭を入れる様子(金額を見てゐたなんて失礼なことは絶対に思はなかった)を見る僧がゐて、記事の人かなと思ったことがある。
その人が社長を務める会社のホームページを見ると、自分と意見の合はない人は辞めさせたほうがいいと書いてあるのを読んで、仏教精神とは反するとそのときは思った。日本全体が自由に転職できるならその考へでもよい。しかし多くが終身雇用のなかで一部の経営者がそのやうに考へては辞めさせられた人が可哀さうだ。
そのときはさう思ったが、コンサルタントは普通のサラリーマンとは違ふから、意見が合はないなら別の会社に移るか独立するのがよいのかな、寺務長の云ふことも間違ひではない、と今では考へ直した。その理由は、築地本願寺が大きく改良されたからだった。
インフォメーションセンターのことは最初に書いた。それ以外に、今までは常例布教の終りに賽銭を集めに来た。今は賽銭箱が入口にあり任意になった。僅かでもよいのだから入れればよいと私は気にしないが、中には案内書には無料と書いてあるのにカネを集めに来た、嘘をつかれた、と感じる人が出るかも知れない。改善したのはよいことだ。
あと、本堂の入口に説明員が二人ゐる。参拝者に挨拶し丁寧に案内してくださる上に、外国人には英語でも話し掛ける。英語の内容も聴いたが適切な内容だ。ここでも改善が著しい。
ホームページを見ると、電話応対も万全だ。と云ふことで築地本願寺は大きく進化した。東京に出てきたが、先祖からのお墓は兄が継承し、自分は所属寺院がない。そんな人は今までの宗旨を問はず、ぜひ築地本願寺を訪ねてほしい。(完)

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