千五十九 最近、日蓮系に冷たくなった理由
平成二十九丁酉年
十二月二日(土)
私は最近、日蓮系に冷たくなった。そもそも阿弥陀仏を信仰するのも、法華経を信仰するのも、密教を信仰するのも、止観(瞑想)のやり方の違ひだから、日蓮系に特に熱かった訳ではないのだが、なぜこれほど冷めたのかを考へてみた。
一番の理由は、日蓮系の関係者に性格の悪い人が多い。といって全員の性格が悪い訳ではない。
桐谷征一師はその御人格とともに宮澤賢治の講座がよかった。正信会はかつて創価学会と同門だったが、顰斥(ひんせき、僧籍剥奪)になってまで信仰を貫いてきたのだから、立派である。
このやうな例外があるものの、日蓮系全体ではどうも性格が悪い人が目立つ。もちろん日蓮宗の僧侶で荒行に参加するなど熱意の優れた人も一部にはゐる。一部にゐるものの、それと同数の性格の悪い人たちがゐると、目立つのは性格の悪い人だから、全体の性格が悪いとなってしまふ。

十二月三日(日)
最近誰か性格の悪い日蓮系の人に会ったかを考へても思ひ出せない。一か月半前に立正佼成会のお会式を拝観に行った。名称が「お会式一乗まつり」に変はったことはあるかも知れない。変更が有意義ならよいが、意味なく伝統を破壊することは好きではないからだ。
これまで宮澤賢治や石原莞爾を何回も取り上げてきたが、今思ふと日蓮系だから取り上げたのではなく、宮澤賢治や石原莞爾を取り上げたため、日蓮系に引っ張られた。そんな側面はあった。
日蓮の教義は非常時用だ。鎌倉時代のやうに飢饉疫癘や元寇があった時代や、江戸時代末期以降の西洋帝国主義の時代には、日蓮の教義は合ってゐた。今は瞑想や祈祷が流行する時機なのかも知れない。瞑想は限りなく科学に近い形式で、祈祷は僧侶に全面委任だからどの時代にも合ふ。

十二月十日(日)
私自身は、上座部仏教を学ぶやうになって性格がよくなった。僧侶に食事や衣を寄進する。社会に役立つことをする。お金がなければ周りの人に親切にしたり笑顔でゐるだけでもよい。これは貴重な法話だ。
私自身、日蓮系に関係してゐた時代はそれほど性格がよくならなかった。その理由は、行動や心の持ち方について鎌倉仏教は指針がないからだ。
天台までの仏教は止観(瞑想)や戒律で心の訓練はするので、本来は性格がよくなる。しかし天台でも自力で成仏するぞと考へ始めると効果が少ない。精神統一することで出世や高給取りになるぞと考へるとまったく効果は無くなる。
すべての大乗仏教は、読経念仏唱題は性格をよくする手段だと認識すべきだ。性格をよくすれば神々が賞賛し良いことが起き、悪いことはなくなる。
と同時に、それぞれの宗派の教義を学ぶのは良いことだし、研究者が古文書を調べたり解析、解釈するのもよいことだ。各宗派はそれに合ふ性格の人がゐるし、それに合ふ時代がある。元寇や幕末以後に西洋列強がアジア各国を植民地にした時代には日蓮系が合ふし、浄土系、禅系、真言系が合ふ時代もある。それに備へて各宗派が宗祖の時代やその後の変化を調べるのはよいことだ。(完)

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