千八十四 NHKはアジアの西洋化を企んではいけない
平成三十戊戌
一月二十八日(日)
本日朝五時からNHK教育テレビで『こころの時代~宗教・人生~「独房で見つめた“自由”」』と云ふ番組がある。ミャンマーの医師、作家の女性が
軍事独裁に抵抗する民主化運動に立ち上がり、約6年間の独房生活を送った。支えとした獄中での瞑想(めいそう)や人生を聞く。

このやうな予告だったので前日から楽しみだった。そしてさきほどスヰッチを入れた。対話はミャンマー人とNHKの女性が英語で行ひ、これはよいとしても、NHKの女が「Really?」と甲高い声で相槌を入れたり、無意味に手を動かすので、この番組はアジア西洋化の意図で作られたとすぐ判った。
ミャンマー人どほしが会話をするときにも、日本人どほしでも、或いはミャンマー人と日本人が話すときも、あんな甲高い相槌を入れたり、無意味に手を動かしたりはしない。私は在日ミャンマー人が建立したお寺の瞑想会と経典学習会に参加するからよく知ってゐる。
私だって欧米人と話すときは、相手が甲高い声や驚いたやうな声の相槌を入れたり、手振りが大げさでもまったく気にしない。しかしアジア人どほしのときは真似をしてはいけない。
そもそも日本の放送の最中にあんな相槌や手振りをしたら、視聴者が不愉快になることさへ判らないのか。このNHKの女は英語だけが唯一の取り柄で、仏教やミャンマーの知識はまったくない。そんな女を出演させてはいけない。この女をインターネットで調べると元アナウンサー、現解説委員、プロデューサとある。
アナウンサーは技能職に徹するべきで解説委員なんかになってはいけない。昭和四十年代まで解説委員はまともな人が任命された。当時は資本主義と社会主義がせめぎ合ふ時代だったことも幸いした。今、アナウンサーが解説委員なんかになっても、自由、民主主義と叫ぶだけの、つまりはどちらも達成されたから無意味な存在となる。

一月二十八日(日)その二
獄中で支えとしたのは1日20時間実践した瞑想(めいそう)だった。その体験は、自分にとっての本当の「自由」とは何か、仏教の「実践」とは何かを深く考える人生の転機となった。ロヒンギャ問題に揺れるミャンマーの民主化への道のりの中で考える現在の問題と人生について伺う。
番組紹介をよく読むと変だ。ミャンマー人女性はアウンサンスーチーさんの運動に加はり、逮捕されたのは軍事政権時代の話だ。アウンサンスーチーさんも自宅に軟禁された。
その後、時代は急変しアウンサンスーチーさんは国家顧問兼外相になった。憲法で外国籍の家族がゐる人は大統領になれないから国家顧問を名乗るが、大統領はアウンサンスーチーさんの政党の部下だから、実質はアウンサンスーチー政権と呼んでもよい。
憲法で副大統領と治安関係は軍部が握るとは云へ、ロヒンギャ問題はアウンサンスーチー政権が起こしたものだ。ロヒンギャ問題はイギリスの植民地支配が原因で、だから欧米が声高にロヒンギャ問題を非難することに、私は反対だ。今回のロヒンギャ騒動はロヒンギャの過激派が引き起こしたものだし、ミャンマー政府はロヒンギャの帰還に努力してゐる。私はアウンサンスーチー政権を支持するし、日本の外務省も欧米のミャンマー非難決議には反対した。

一月二十八日(日)その三
自由と民主主義のほかにもう一つ必要だ。それが何かについて人類には統一された解答がない。或る人は博愛と答へ、しかしフランス革命でその欠点を暴露した。或る人は平等と答へ、しかしソ連のやうに自由を犠牲にしたり、毛沢東やポルポトのやうにのやうに社会を破壊した。或る人は伝統と答へ、これが最も正解に近いと思はれるが、既得権と堕落にどうするか、今のやうに変化の速い時代にどう対応するかが課題だ。

この番組のよくないところは、ミャンマー人女性に、民族主義より市民主義だと云はせたり、自由だ、民主主義だと叫ばせるだけの内容だった。つまり誰もが判ってゐる最初の2つを1時間繰り返すだけの内容だった。
因みにこの女性は両親がそれぞれ別の少数民族(確かシャン族とモン族)と中国人の混血と云ふ話も出た。それなら尚のこと、ミャンマーへの民族意識が低いことはあり得るのに、それへの考察がなかった。また西洋文明優越のなかで、民族主義より市民主義と叫ぶことは西洋化をもたらし、それは社会を混乱させ特に弱者が被害を被る。それへの言及がない。
私は最初の20分を観たところで一旦スヰッチを切り、しかし「仏の顔も三度まで」の諺があり、私は普通の人間だから二度までとばかり5時30分に再度スヰッチを入れたところ、やはり低俗な内容だったのでスヰッチを切った。
二回目のときに瞑想するときシャカを思ひ自由を悟ったと云ふ内容があった。これはよくない。シャカの時代から長く続いた上座部仏教(ミャンマーの場合)の伝統に従ひ信仰を続けたと云ふのなら尊い。しかし長い歴史を無視して教祖(今回はシャカ。世界ではキリスト、ムハンマド、マルクス等々)に直結すると、それは原理主義になる。
因みに私は、心の中では論蔵と経蔵でもジャータカは後世のものだと思ふが、上座部仏教が長く続きミャンマーなどで住民の心の支へとなってきた伝統を尊重し、上座部仏教は正しいとする。そして日本や中国では大乗仏教が長く続いたのだからこれも正しいし、世界中ではヒンドゥー、キリスト、イスラム、儒教道教も正しいとする立場だ。(完)

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